伊勢一泊二日の旅をしてきました
というか三重県に24時間も滞在してない。だらだらの旅。
基本、私がひとりで遠出をするとき、それは旅行でなく旅になる。
行き当たりばったりで、計画性がなく、加えて適当で愚図な性格だ、旅そのものもそうなる。
旅行というのはきちんとしたスケジュールと名産品や名所の列挙に基づく、言うなればタスクの積み重ねだ。
旅は違う。旅はその土地の匂いや風を感じたらもうオッケーだ、何を食べても食べなくてもどこへ行っても行かなくてもオッケー。とかそういうことを昔本で読んだ。
出発は14時。前日にビール2杯で酔っ払ってしまったから顔はぱんぱん、低気圧で頭は働かない、でも、決めていた。そろそろひとりでどこかへ行かないといけないと思っていた。
下されてしまった決定には従わなければいけない。当日行きたくなかったって、頭を働かせる必要はない、宿を予約して、そして、そこまで電車やバスに乗って行く。なにも考えずにそれをする、だって、もうそう決めてあるのだからね。
そしてほんとうに頭を働かせずに出かけて、Googleマップの経路に反抗したら電車を一本逃してしまった。
鶴橋から乗れと言われていた電車に、上本町から乗ろうとしたら乗れなかった。仕方がないので遅ればせながら鶴橋に行く。暑いし人多いし電車ないし、しんどくなって、居たくなくなり、とりあえず布施まで進む。鶴橋よりも空いていて、いくぶん暑さもマシだ。そしたら、ゲリラ豪雨が見られた。
数十分それを見たり、本(バイブルである村上龍『愛と幻想のファシズム 上巻』)を読んだりしていたら、目の前に来たはずの電車を逃した。
「そろそろくるかな〜」と思って表示板を見ると、その電車の表示はもうなかった。本当にびっくりした。
仕方ないので、もう多めにお金を払って特急で行くことにした。また、暑い鶴橋に戻る。時間があるし、お腹が空いたので、おうどんを食べた。
構内にあるおうどん屋さんは信じられないくらいキンキンに冷房が効いていて、サラリーマンやおばさんがそれぞれひとりで麺類を啜っており、図書館のような眠たげな雰囲気で、
日本人なら誰でも知ってることが、得意げに貼り紙にされていた。にっこり。
そして特急券を買って、列に並ぶ。途中で、反対側のホームに並んでいたことに気づき、急いで正しいホームに並び直して、無事に乗れた。
この時点でもう16時くらいになっていた。
特急電車は好きだ。進行方向に座席が向いているし、窓が大きいし、冷暖房が効いているし、なによりもお出かけの感じがあるからだ。
たとえば難波の駅で、名古屋行きの特急が滑り込んでくると私は飛び乗りたくてたまらなくなる。それに乗っている人が羨ましくてたまらなくなるし、それはなにか今ここではないどこか素晴らしいところへ(つまりこの場合は名古屋なのだが)連れて行ってくれる銀河鉄道スリーナインのような、逃避行の立役者みたいな、親密かつ非日常な素晴らしいなにか、に見えるのだ。
そして伊勢志摩。私はその土地が大好きだ。何よりも小さな頃から連れて行ってもらっている、旅行といえば伊勢志摩。今はもう有名だが、まだ別荘村からホテルになったばかりかなにかでまったく知名度がなかった頃の志摩地中海村に、初めて行った小学生の頃は心が踊った。
ママが運転する車、ぐねぐねと木々の間を抜けると、大きな門があって、到着してからホテルの人が開けてくれる、そして、海。凪いだ海に浮かぶ島々、海からの風に揺れるオリーブの木、ぽつんと浮かぶレストラン棟の温かな明かり、静かでひそやかな白い壁の小さな町、明るいタイルでできた噴水の広場……。
地中海村だけじゃない、鳥羽水族館で見たペンギン、昔ながらの真珠屋さんでアコヤ貝から真珠を抉り出したこと、怖くて嫌なのに無理やり乗らされたスペイン村のアトラクションで顎を打ったこと……。
とにかく、たくさんの初めてのこと、嬉しいことと楽しいことがいっぱい詰まっているのが伊勢志摩……というより鳥羽や、志摩なのだ。
それで、伊勢市駅に到着したのはもう18時過ぎ。まだ辛うじて明るい。
到着すると圧倒的な密度で、「夏!」の空気が襲ってきたので怯んでしまった。都会の湿度はコンクリートからの蒸気がほとんどなのだろうけど、田舎のそれは違う、植物の呼気が、蒸散の気配がむんむんするので密度が違う。こっちだ、と思う。私の知っている夏はこっちだ。駅前は日曜日も相まって気だるげで、見るものすべての色がなんとなく褪せていて、よかった。
駅から宿に歩く道すがら、蟹すぎる水路があったので思わず写真を撮った。
この蟹口密度が500mくらい続いていて、夢中になってしまった。彼らは動きが速い。コンクリートの裂け目から姿を現したと思うと溝まで駆け抜けるその姿に釘付けになる。
伊勢市駅から歩いて10分のゲストハウスにチェックインした。
一泊それでも4000円弱。
受付の人がくれたマップ。
頭が働いていなかったので、「伊勢は初めてですか?」と訊かれて「いえ、何度か……鳥羽って……伊勢ですか?」と答えたりして、コミュニケーションがままならなかった。
ままならないながらに「この辺でお散歩して楽しいところはありますか?」と、お散歩に行くのですという意志を示すために訊くと、よくぞ訊いてくれました!という感じで受付のメガネの男性がマップをくれたのだった。「河崎町というところが楽しいですよ!」「僕もよければ一緒に行きますよ!」「もうあと一組しか今日は到着がないし」
私はあんまり意味が分からず、「ええ…?そうなんですか?」という曖昧な返答をしてしまった。男の人は細い体に日焼けして、シルバーのごついアクセサリーをつけているしメガネだし、髪の毛が繊細そうで前に付き合っていた人に似ていたので私は一緒にお散歩に行くなんて嫌だったし、意味がわからなかった。どうして一緒に行くなんて言うんだ?
最終的に「マップありがとうございます!じゃあちょっと行ってきますね!」と言って宿を出てことなきを得た。
ゲストハウスの人ってお散歩についてくるの普通なん??
そもそも、お散歩は友達か家族か恋人とお喋りしながらするか、そうでなければひとりでぐんぐん歩くのが楽しいのだ。どうして何も知らない他人としないといけないんだろう。ゲストハウスを出発してからもしばらく考え込んでしまった。それくらいよくわからなかった。
そして河崎町というところにとりあえず向かう、地図が読めないので道端で睨めっこしていたら、微ロン毛のおじさんが私を追い抜かしながら「何かお探しですか〜?」と言って去って行った。
私は「いやあ地図が読めなくて〜」とちょっと小走りになりながらその背中に返事をした。おじさんが振り返ることはなかった…………。
なんなんや、と思いながら道に迷い、川に出る。
この川には、鯉もいたし、石鯛みたいな縞々の海水魚もいたし、ミドリガメっぽい亀もいた。あとで、水面をキラキラ揺らす小魚の群れも見た。私は汽水域が好きなので川沿いに歩く。
遊歩道が整備されていて歩きやすく、川を通る風は少しだけ温度が低い。すれ違ったおばちゃんが、「こんばんは、夜は涼しいね」と声をかけてくれたので、汗だくの私は「ほんまですねえ」と笑い返した。
迷っているといつのまにか河崎町についていて、昔ながらの蔵の町並みと、いま風なカフェとかが混在していて、たしかにおもしろかった。
古本屋さんや"川の駅"とかもあって、日曜日の夜、ほとんどがもうお店を閉めていたけど、そぞろ歩きが楽しかった。
あと、こんな
"内と外の概念が逆転した家"もあったし、
こんな
シラスという小さなお魚の名前をクジラくらい大きな文字で書いてるお魚屋さんもあった。
変な時間におうどんを食べたのでお腹が空いていなく、「ぎゅーとら」というわくわくするローカルなスーパーに寄るも
なににも食指動かず。
宿に一度戻り、お風呂セットを持って銭湯に行った。歩いて10分、さっきの川沿い。汗だく。
どうして暑い思いをして銭湯に行くかというと、街中で広告を目にしていて、「汐湯」というのが気になっていたのと、宿で割引券をもらっていたからだった。汐湯というのはどうやら、伊勢のどっかの神聖な海水を毎日汲み出してきてあっためてお湯にしているやつらしい。禊のために海水を浴びる文化があったんやって。
でも、大阪でひとりで銭湯に行って、あんまりいい思いってしたことない。銭湯ほど地元に根差した場所はないからだ。排他的な場所で、しかも全裸にならなければならない。素っ裸でなにを隠す必要もない地元のおばちゃん達が大きな声で喋り、お湯に浸かり、サウナを占領している。田舎でも同じだ。
巨漢(敢えて漢という字をそのまま使う)のおばちゃんが、会う知り合い会う知り合いに「体重計乗ったら1キロ増えてたあ、最悪やあ」と言ってて芯から恐かった。
「昨日食事会で割り勘負けしたないから食べてしもて1キロ増えてたあ、また地獄の1週間の始まりやあ」と。
私は「割り勘負け」という言葉があることを知らなかったので、カルチャーショックも相まってめちゃくちゃびびってしまった。
で、汐湯は、ぽかぽかしたけれども、なんかよくわからなかった。たんじゅんにお風呂は気持ちよかった。巨漢おばちゃんは恐かった。
そしてコンビニで買ったカップ麺を携えて宿に戻り、キッチンで食べた。食べていると昼間の男の人が出てきて、少し話した。
彼は北海道出身で、リゾートホテルやゲストハウスのスタッフをしてきており、今度鹿児島に自分のゲストハウスをつくるのだそうだ。
「北海道いいですよね」と私が言うと、「北海道ねえ、なにもないっすよ、住んでる身からすると」と笑った。そういえば私が到着したとき、「このへん別になんもないですけどね」と笑っていた。
今回泊まったところは男女6人ずつくらいドミトリーがあって、ファミリー用の個室も3部屋くらいあったので、運営するにはスタッフが4,5人要るけれども、もっと規模が小さいゲストハウスなら1人でぜんぶやってるところも多いらしい。彼が鹿児島でオープンするのもそういった小規模なものだそうだ。受付も清掃もサービス類もぜんぶ?超たいへんやな……。とはいえゲストハウスというのはたくさん出会いがあって楽しそう、と思った。
彼は奈良には来たことがないと言う。「鹿児島行かれる前にぜひ奈良行ってみてください」と私が言うと、「奈良ってでも大仏と鹿以外なんも思いつかないんすよね〜」と言う。「探したらなんかあるんでしょうけどね〜」と。
こいつのやるゲストハウス流行るんか?と思った。
話していると男性のスマホが鳴り、彼は私に失礼をして電話を取りながらベランダに出た。「はい、お疲れ様です、メンヘラで〜すw」。
あーやっぱりこいつ嫌、と思った。
夜の22時過ぎ、カップ麺で満腹の私はコーヒーを飲み、歯磨きをして、『愛と幻想のファシズム 上巻』を読んでいるうちに眠った。
アメリカのホステルでも、コーヒーは無料だった。コーヒーの市民権というのはものすごいものがあると思う。働いているホテルでも社員食堂でコーヒーが無料提供されているし、前のところでもそうだった。
まあ、そして次の日、深く深く眠った私は起きてここがどこかわからなくなり、他人のがさごそ動く音でああ、ゲストハウスか、大阪にいないんだった、と思った。
思いながら9時半くらいまで寝た。ゲストハウスのスタッフの人たちは清掃に忙しくしていて、それを尻目にゆっくり用意をし、チェックアウトの時間10時ちょうどくらいにキッチンで地図を見ていると、また昨日の男性が話しかけてきた。
「今日はどっか行くんですか?」私のスマホを見て、「え?賢島まで行くんですか??」、私は何もまだ考えていなくて海に行くことだけ決めていたのでその旨を言った。
「お伊勢さんは行かないんですか?」、と男性。そう言われるとお伊勢さんまで数分の距離まで来て素通りというのも憚られる。「僕もまだ行ってないから今日行こうと思ってたんですよ、今日休みだし。一緒に行きますか?」
私は基本的にオープンな人間だし、ゲストハウスに泊まるくらいなのだからよっぽどそうだ。そして今日やることも決まっていない。海にはぜったいに行きたいけども。でも、「ぜんぶ回るなら〜……まあ終わるのは15時くらいですかね」という彼の言葉にビッグ・ノーが出た。
「今から行くとちょうどお昼くらいにおかげ横丁を通るのでそのへんでご飯食べればいいですし」とか言ってる。
「そんなにかかるなら、サワリだけご一緒しようかな……?」私はもう思いきり怯んでしまった。なにが嬉しくてこの"メンヘラ"と5時間もご一緒しないといけないのだ。ちょっとお参りして出てくるくらいならしたいけど、それだって別にこの人と一緒じゃなくていい。
私の気が乗っていないのを察して、「まあ大阪にお住みならいつでも来れますしね、海を楽しまれたほうがいいかもしれませんね」と彼は優しい言葉をかけてくれたので、私はこれ幸いという感じで「そうします!💫」と笑顔になった。
それで、リュックを置かせてもらって身一つ(さいきんハマってるローライズのジーパンのポケットにICOCAもスマホも『愛と幻想のファシズム 上巻』もぜんぶ入れて、首にブルーシールのがま口👛かけて)揚々と外に出ると文句なしの快晴!あっっっつい!!早起きの蝉さえ鳴いてる。
少し歩き、バスに乗って浜へ。電車とバスを選べるなら、私は必ずバスを選ぶ。住宅街のなかなど、線路の干渉し得ない生活の場を分け入るのが路線バスのおもしろいところだからだ。
浜の最寄のバス停に着いたら、なんか、豚まん屋さんがあった。吸い寄せられてしまうほど目立っている。どうしてこんなところにあるんだ、と、ほとんど異様なのだ、その姿は。
とりあえず海老マヨの練り物と、豚まんを買った。あつあつのふたつをぶら下げて歩く。
いい感じになるアプリで写真撮って流行りのレトロにしちゃった。
すみません……。
ふつうはこれらです
人は少ないけどちらほらいて、なんか赤福のお店もあるし、海辺ってだけじゃなくて観光地なんかなあ〜と思いながら歩いた。
二見浦!
って見て思ったんやけど、難波に「二見の豚まん」ってあるよなあ?あれ一回しか食べたことないけど美味しくて好きやけど関係あんのかな。
風がぶわぶわ吹いていて気持ちいい。海からの風にときどきひとすじ、冷たいものが混ざっている。炎天下歩いてきてあっついけど、影は居心地がよかった。座って、
食べる!!
豚まんにはちゃんと辛子つけてくれてて、餡には胡椒がたっぷり効いてて、美味しかった。
海老マヨの練り物は海老がいっぱい入ってて罪な味がした。
しかし練り物を食べながら私は考えた。この小ぶりのエビたちは、ぜったいに伊勢湾で獲れたものではないだろう。背わたの取りきられていないエビは、たぶん冷凍だ。ふんだんに入れてくれていて贅沢な感じがして嬉しいけども、これは目の前の海から獲れたものではない。
これはなんというか大きな矛盾を孕んでいないだろうか。目の前の海でも当然エビは獲れるはずだ。伊勢エビみたくブランドものでなくても、ふつうのエビが。それなのに、たぶん外国の、冷凍された、大量に獲れるエビを購入して飛行機やトラックに載せてここまで持ってきて、それで練り物に入れて揚げて販売する方が土地のものを買って売るより安いっておかしくない?
それを二見浦の海を見ながら食べても、私の食と景色は繋がらない。なんかうっすら詐欺にひっかかったような気持ちになった。これはおかしな話だ。だって豚まんの豚に関してはどこから来たかなんて気にならないんやから。
まあぐだぐだ考えながらぺろりと平らげて、石垣の先端まで歩く。
フナムシいない。嬉しい。
遠くでクレーンが
がしっとものを掴めるように爪を持った先端でなにかを動かそうとして頭を振っているのをニヤニヤしながら眺めた。
大きくて鈍い生き物みたいなクレーンは見てておもしろい。ゆったりした気持ちになる。穏やかでファニーだった。
海辺は松の防風林で、そのすぐそばに旅館が続く。荒れ果てたお庭や古い窓辺を眺めつつ歩いた。
アシカ。
犬みたい!
ここの旅館、潰れてるんかなと思って眺めてたら、
白髪のロン毛の女性の後ろ姿が見えてめちゃくちゃびびった。見てたら、白人で髪の毛を白く染めた若い女の人やった。こういうところって確かに外国の人は好きそう。私だって誰かとなら泊まりたいもんな。ひとりじゃぜったい無理やけど。
旅館 海水浴って書いてる
けど、この辺りの浜は砂浜じゃなくて砂利とか石の浜なので、海水浴客はあんまりいなさそう。
見えづらいけど
現役の車運転ゲームがあったのは、
旅館まつしん。ここは結構かなりガチで泊まりたい。合宿とかしたいなあ。
この辺りまでくると、なぜか人が多くなってきた。外国人もちらほらいる。
みんな、なにしに来てるんやろう?と思ってたら、見えてきた。
夫婦岩だ!!
むかし、夫婦岩を模した白餡のお饅頭が大好きだった。伊勢に来るたびに食べていた。だから親近感があるけど、今の私にはまったく関係ない、いちばん遠いところにある言葉だ、「夫婦」なんて!
だから、友達夫婦やカップルが末長く一緒にいられますようにとお願いしておいた。
緑の濃い山と白い山。
そして、夫婦岩を越えて歩くとお土産屋さんと水族館のキメラがあった。
フィルム風カメラ混ざってる。
↓典型的な日本の夏。お水と麦茶とポカリの売り切れた自動販売機。
看板に、"伊勢シーパラダイス"って書いてたんやけど、パラダイスって言葉昔の人好きよな。私も好き。
なんか、得体の知れないよいものでできていて、そして少し堕落した、退廃的な、甘い誘惑に溢れた場所のこと、って感じがする。余分なものでできた、貧乏な人の溢れる時代には悪になりうる、なんでもある場所のような。
今ってパラダイスはあるかな? もうないんじゃないかな。平成の中期でなくなったんじゃないかな。だから私は昭和期に惹かれるのかもしれない。
今、欲望はすべてにそれぞれ対処する場所があり、そのすべてにはそれぞれの名前がついている。"パラダイス"なんて曖昧な言葉を誰も使わない。お魚を観るなら水族館、お風呂に入るなら銭湯、女の子と飲みたいならキャバクラ、異性と付き合いたいならマッチングアプリ。
パラダイスはカオスを内包している。シーパラダイスからはさかなの匂いがして、アシカの鳴く声と勢いの良いJ-popが流れ出てきた。なんでもありなんてこと、もう今の日本であるかな? アンダーグラウンドにはあるのかな? それだって、酒と薬と女、という名前がついているのではないかな?
パラダイスを冷やかして、JRの駅に向かい、炎天下を歩いていると現役で営業しているのに明らかに時代遅れな民宿や観光ホテルがたくさんあった。
これはそのうちのひとつ。
"残酷焼き"っておもしろいな。生きたまま魚貝類を火にかける調理法よな? 残酷やとわかっててやってるなんて、歪んだ快楽だ。
国道っぽい道の脇には水産会社があって、働いている人がホースで道を流していた。生臭さが辺りに広がる。それに反してキラキラキラキラ、新鮮なお水が太陽を反射して輝く。道を轟音を立ててゴミ収集車が通って、また違う強烈な臭いが漂った。
道には車がひっきりなしに通るけど、人はひとりも歩いていなかった。田舎の人は歩かないし、そうでなくても暑すぎた。
道端に、"民話の駅 蘇民"という看板が出ていて、さらにブルーベリー味のソフトクリームの垂れ幕がかかっていたので、迷わず入った。
民話の駅ってなんや、あと、蘇民ってどういう意味や、と思いながら入ったけど中が涼しすぎてどうでもよくなったから結局意味知らない。
牛乳のソフトクリームにしたら、めちゃくちゃ盛ってくれた。
量は、サービスとかじゃなくてスタンダードっぽかった。ちょっと冷蔵庫の味した。
(蘇民って今Googleで調べたら、風土記に載ってる人の名前なんやね。一応施設のなかぐるり見たけど説明どこにも書いてなかってんもん)
かんかん照りの外が、ちょっと明度下がってきたし、ソフトクリームで汗もひいたので外に出た。さっきまで晴天だったのが、雲が多くなってきている。歩きやすいやん、と思った。
そして民話の駅の裏手を何気なく見た。すると!!
大好きなお花が咲いていた!!!
大量の蓮の花!!!!
見渡す限り!!まさにヘブン!!!
まるで豆柴カフェに来たかのように、かわいーーー!!!と言いながら写真を撮りまくった。
ほんまに蓮の花って完璧。大好き。上品で浮世離れしてる。清廉やのに派手。ぼてぼてと花びらが多いのにやらしくない。ほんとに大好き。
と写真を撮ってる側の空はまだ青いんやけど、この右側の空は雲で真っ白。気づくと、どんどこどんどこ言い始めている。
私は先を急ぐ。ごろごろごろごろ言っている空に向かって「めちゃくちゃキレてるやん」と独り言を言う。雷様が口角を吊り上げて太鼓を叩いているところを想像する。
駅は小高いところにあって、おまけにバス停みたいな"ひさし"しかない。さすがにびびった。避雷針が近くにある。ってことはそこそこ危ないってことやん!
駅からの景色。
人っこひとりいなくて、赤い文字の「真珠漬」はちょっとかなり怖い。
そしてたちまちざあざあの雨が降り、空がピチピチ光る。動画を録ったけど載せられないのが残念。ごろごろどかんという音と、雲に電気の跳ねるのが、混ざって見えて聞こえて、死んだら嫌だなと思ってめちゃくちゃびびった。
本来、そこから鳥羽のほうまで行こうと思ってたけど、雨がざあざあぶりなので諦めて、伊勢市行きの電車が先に来たのもあって、乗ることにした。
乗ることにしたのだが、ワンマン列車で、ボタンを押さないとドアが開かない仕組みになっている。ホームに滑り込んだ電車の、当然ながら目の前にあるドアのボタンを押して私は開けようとする。ひさしのないところに行くと、大粒の雨に打たれるからだ。開かない。締切の文字。大雨のなか、電車から車掌さんの声が聞こえる。「真ん中の車両から乗ってください」。
真ん中の車両は、大雨のなかだ。
「あのさあ、」だったか、「ふざけんな」だったか、「はあ?」だったか忘れたが私はとにかく悪態をついた。「いかれてんのか?」だったかもしれない。「開けろや!」だったかも。
たしかに、真ん中の車両の真ん中のドア付近にしか整理券の機械はなかったし、整理券がなければ乗ってきた駅がわからないから精算が不便かもしれない。
でもじゃあ私が乗った駅だけあんなにひさしちっちゃかってんし、私しか乗らへんかったんやから例外で私の目の前のドア開けてくれてなにの損がそっちにあるわけ??????乗り込む私に「真ん中のドア使え」ってアナウンスできるなら、乗り込んだあとの私に「真ん中の車両の整理券とれ」って言えない理由はないやろうが!!!!何のためにアナウンスの機械あるおもとんねん!!!私は怒り心頭で、びしょ濡れで電車に乗って、車掌さんを睨んだ。彼は運転中でこっち見てなかった。めちゃくちゃムカついた。意味のないびしょ濡れだからだ。
ほんとに尋常ではない雨なのだ。
乗客のみんながみんな窓の外を見物するほど。
降りるときにぜっっっったいに質問しようと思った。「あれってドア、真ん中のやつしかほんとに開かなかったんですか?笑」って。ムカついてた。でも、まあ、降りるときには気持ちも収まったのでやめておいた。嫌な気持ちがぶり返すだけだからだ。「すみません」と謝られたって、「決まりですから」とキレられたって、私がびしょ濡れになったことには変わりはないのだ。悲しいけど。
ガチギレで伊勢市駅まで戻ると、雨は激しいけど空は晴れていた。しばらく狐の嫁入りお天気雨を眺めたら、止んだので駅を出た。
なんとなくお腹が空いていて、お伊勢さんの参道にあるお店に入り、近江牛の串を買った。
接客は終わってたけどお肉は美味しくて、歩きながら食べてちょっと機嫌が直った。
外は暑すぎるのでやっぱりあんまり人がいなくて、私はとぼとぼ歩く。宿に荷物をピックアップしに行こうとしていたのだが、まったく反対方向に歩いていた。
どこかへ旅行に行って、宿と駅と周辺の地理がわかってくる感覚が好きだ。好きやけど、方向感覚が終わっているためになかなか思い通りに歩けない。方向感覚が備わってないのに周りの景色は見たことがあるため、合ってると確信して地図を見ないからいつも余計に歩くことになる。
うろうろしてると見つけたお豆腐屋さんで
飛竜頭を買った。
ひりょうず、または、ひろうす。
小説のなかでしか見たことのない食べ物の看板が出ていたので、昔ながらすぎてめちゃくちゃ入りにくかったけど、一回通り過ぎてやっぱり入った。
店内は真っ暗で、おじいさんが奥にいたので「すいません」と呼んだ。なんか思っていたより小さな声しか出なくて(珍しく)、2回呼んだら来てくれた。
「ひりゅうず……ひろうす?ください」
おじいさんは怪訝な顔をしながら「ひりょうずね、110えん」と言って、素手でひりょうずを掴み、ビニール袋に入れてくれた。
飛竜頭(と剥げてるマニュキア恥ずかしい)。ぜんぜん味なかったしぱすぱすだった。でも、中にしいたけとかピンク色の生姜とかいろいろ入ってておもしろかった。これが飛竜頭かあ、と思った。
関東はがんもどきで、関西は飛竜頭と同じものを呼ぶらしい。がんもどきも飛竜頭にもどちらにも馴染みのない私には新鮮だった。読んだことのある小説では確か、主人公の元旦那が新しい奥さんと新しい家でひろうすを揚げているシーンがあった。
そして、味がない(たぶんお醤油とかをつけて食べるんだろう)飛竜頭を平らげて宿に戻ると、誰もいなかった。
「荷物もらいまーす!」と声をかけると、事務所から例の男が顔を出した。「おかえりなさい!雨大丈夫でしたか?」。
私はにこやかに返事を(「ちょっとだけ降られたけど大丈夫です」)しながら、おるやんけ、と思った。お伊勢さんにお詣り行くんちゃうんかい。そんなんやからこの辺なんもないって結論になるんちゃうんかい。まあどうでもええけど。
宿を出て、また駅に向かい、電車までまだ時間があるので、参道のカフェに入った。
なぜかお腹が空いていて、大きなカステラを頼んでしまった。
後悔したことには、ソフトクリーム乗ってた。これって何人かで食べるやつよな?
でも美味しかったし、コーヒーがとっても、めちゃくちゃ美味しくて嬉しかった。
そして駅に戻り、トイレに行っている間に乗るはずだった電車を逃して、次の電車を待っているときに気づいた。
ポケットの『愛と幻想のファシズム 上巻』がない。
民話の駅でトイレに行ったときに、落とさないようポケットから出してその辺に置いたことがフラッシュバックの稲妻のように蘇る。
ああ。私のバイブルが。
誰か見つけて、そして、読んでくれますように。
一日中、おしりポケットに入れてたけど一度も読まなかった。歩いたり見たり食べたりしてて読む時間もなかった。ちょっとかっこいいかなと思ってた部分が確かにあった。尻ポケットに文庫本って、ちょっと渋いかなって、芥川龍之介か誰かの小説の主人公もやってたかなって、あと江國香織の小説の主人公の親友の恋人もやってたし、だから、かっこいいかなとか思って。『愛と幻想のファシズム 上巻』は分厚かったから座るのにも邪魔やったけど。
かなり凹んで、電車の中でどうしても読むつもりだったのにと萎えて、帰りしなに梅田で買って帰ろうと思って特急に乗った。
すると、ぜんぜん本読んでる暇なかった。びゅーんと走る列車を取り巻く気候が目まぐるしく変わって飽きなかったし(また雷がぴかぴかして、あと、雨を風が巻き上げて田んぼの上空を霧みたいに彷徨ってておもしろかった)、
ブログを書き始めていたし、サザンを聴いていたからだ。
サザンはいいなあ。
そして上本町で近鉄電車を降りて、近鉄百貨店の本屋さんでロザンの菅ちゃんの『京大芸人』を買って帰った。
ほんとは『愛と幻想のファシズム 上巻』が欲しかったけどなかったので、Amazonで注文した。
『京大芸人』はもう読み終わったけどめちゃくちゃおもしろくて、地下鉄で読みながらくすくす笑った。
帰宅して散歩するとひまわりが咲いていた。
夏だ。夏って好きだなあ。
やっぱりちょっと、憂いしなあ。
そして私の旅。
このあいだ、友達とコンビニに行って傘を買ったとき、店員さんが包装を剥いてくれたので私は、「剥いてくれてありがとうございます」と言った。すると女性の店員さんはフル無視をした。「え、無視?」という言葉さえも無視したので、友達は笑って、「なんでそういう目に遭うんでしょうね?」と言った。「そういうこと多ない?」と笑った。そうだ、そういうことは私の人生に(たぶん最近になって)、多い。
今回の変な人たちもそうだと思う。
私はひとりが好きで、ひとりでどこへでも行けるが、基本的に他人を常に求めている。書いてないけど夫婦岩の前で写真を1人ずつ撮ってたおばちゃんに積極的に写真撮影をしてあげたり、普段の生活でも電車で隣の人たちが道の相談とかしてたら声かけちゃう。というか他人との繋がりを拒否してる人間がゲストハウスになんて泊まらない。
だから、たぶん、関わろうとするからいちいちムカついたり傷ついたり拍子抜けやったりキモかったりする。関わらなければ無のはずだ。
でも関わってそれにいろいろ感想を持つのがおもしろくて、やめられないのだ。文句ばっか言ってるけど、でも、やっぱりおもしろくて笑いながら文句言っちゃう(大雨電車の車掌お前は別)。
とうぜん、景色や名勝を存分に観るのだって土地のものをたらふく食べるのだって楽しみのうちのひとつやし、それだけでもひとり旅って楽しいと私も思う。思うし、人間以外のものを徹底的に楽しむ旅行なら絶対に嫌な気分になんてなる隙がないだろう。
でも、まあ、なんでなんやろう、人から好かれにくいし人のこと好きになりにくいのに人との関わりを欲してしまう。他人の気配に安心してしまう。
旅の最悪なところは、帰宅しないといけないところ。ひとりぼっちの家に帰るのはほとんど恐怖で、だから帰宅してからも散歩に出かけてしまった。旅が終わらなければいいのに!なんて願ってしまう。
だからまたすぐにどこかへふらっとひとりで行く。行かないではいられないから行くのだ。
さいご駅で、またあったね☺️💓