旅にグレイハウンド

西海岸をグレイハウンドで行く

バンクーバー留学日記 2

 

 

 

日々がするすると過ぎる。

 

同じ幼稚園に通った友達が、自らの目的地に着く前、トランジットでバンクーバーを訪れてくれた。

彼女とは多くの時間を過ごしてきたわけではない。不思議に、ほとんど真逆と言っていい選択をしてきた。幼稚園も小学校もクラスはほとんど別のほう、生活の拠点を私は大阪に持ち彼女は東京へ。カナダ留学という共通点も、私は西のバンクーバー、彼女は東のトロントと分かれ。好きなアメリカの街、私はロサンゼルスとサンフランシスコ、彼女はフロリダ。だから人生のほとんどを共有していない。それなのに会えば話は弾み、2人でよく食べる。

彼女の訪問はじっさい救いだった。ということは、さらさら過ぎるように感じていた生活も、どこかで負担だったのだ。天使は下界に現れるから輝く、熱中症のときの水は甘い味がする、スイカにまぶす塩。

 

男性2人そのうち1人は忌避すべき共通の常識を持つ日本人であること、学校の授業をうまいこと楽しめないこと、あまり友達ができないこと、カナダドルの価値だけでなく物価も飛躍的に上がっていて外食をできないこと、職探しや家探しの不安、言われて嫌だったこと、誰にも相談できずにひとつひとつ対処していっているのだから、隠れたストレスはかかって仕方がないのだろう。

ノーストレスで生きているから、人よりも楽をしているから、そう信じているから、知らず知らずに内臓を押し潰す圧力に気づかずに歩いてしまうのだ。

 

とはいえ日々はおもしろい。

たとえば、バンクーバーで働く準備をするのは、なにかゲームをクリアしていくような感覚だ。

 

1、入国時にビザをもらう。ワーキングホリデーならワークパーミットを、コープという学校とインターンセットのビザならスタディーパーミットとワークパーミットを。豪奢で分厚い紙を、「どこに行くにも持ってくんだよ」という言葉と共に政府の人にもらう。これを私は分厚い八つ折りにしている。

2、SIN番号というのを取得しに行く。ソーシャルインシュランスナンバー、社会保険番号だ。たとえパートタイムでも、働くにはこれがいる。ダウンタウンのService Canada Centreというところに行く。薄暗いオフィスで、人がたくさんいる。受付でビザとパスポートを見せ、椅子に座って待つ。朝から行けばたぶんすぐ、昼下がりなら1〜2時間待つ。私は以前の滞在時に取得していたので、カウンターの人はSINを発行する代わりに情報の更新と番号の再通知をしてくれた。セキュリティ質問の設定など、政府の人の言う通りに大人しくしていれば番号はもらえる。

3、銀行に口座をつくりに行く。学生や短期滞在者は、まずTD(The Toronto-Dominion Bank)というところを選ぶ。口座の維持にお金がかからないからだ。これも私は以前カナダに来たときにつくっており、セキュリティ質問やSIN番号の再提示などを経てカードを再発行してもらった。新しく口座をつくるほうがお得なプランがあったり物事もスムーズだろう。

5、カナダに6ヶ月以上滞在する場合、MSP(Medical Service Plan)というのに加入しなければならない。正直知らなかったし以前は加入していなかったのだが、後々面倒なことになったら嫌なのでよくわからないまま加入した。申請から3ヶ月後くらいに正式に入れるらしい。

6、学生のうち、パートタイムで働くなら飲食業がいちばんメジャーだ。サーバーをするなら、Serving It Rightという資格が必要になる。アルコールを提供するポジションにつくため、正しい扱い方を学びましょうという資格だ。35ドル+税かかる。軽く働くためにお金を使うのは嫌いだし、資格はインターネットで取得できるのでカンニングし放題で意味がない。存在意義には懐疑的にならざるを得ない。

7、レジュメ=履歴書をつくる。とにかくアイキャッチの力の強いやつ。

 

そしてレジュメを何枚も配り、なんとか職を見つけなければならない。先進国というのは、中に入るのが難しいなあ。しかしまあ日々、穏やかに過ごしながらカフェなんかでパソコンを広げてこういうことをするのはなんとなく楽しいものだ。

バンクーバーにはカフェが多い。白人たちはカフェインに強くない場合もあるので、カフェインレスのオプションも豊富だし、ノンデイリー(乳製品でない)ミルクの選択肢もずっと昔からたくさんある。大学やカレッジがたくさんあるので、カフェで長時間過ごす学生も多い。

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クッキーを食べ コーヒーを飲みながら、翻訳の勉強やSIRの資格を取ったりした。

訪れたCommercial Driveという道のあたりは、この街のリトルイタリーらしい。電柱には緑白赤のマークがぐるり、カフェはエスプレッソやジェラートを出すところも多かった。私が行ったJJ Bean Coffee Roastersはバンクーバーの街に何軒かあるスタンダードなカフェだが、またいろんなカフェを覗いてみたい。

 

英日翻訳というのは、やっぱり英語の問題ではなく、日本語の話だ。受け取り手のことを考えて、どのように易しい文章に噛み砕くか、同時に原文の正しさを保ち続けるか。ぜんぜん両立しないふたつに苛立ち、無為に時間は過ぎる。学校の授業は勉強になるが、発言しにくくてときに眠気を誘う。しかしこうして授業以外の時間も翻訳に触れることで、自分のやりたかったことをできるんじゃないかと希望が見える気がする。AIに押し流されて斜陽産業となりつつある分野だけど、どうにかして翻訳を仕事にできたらいいな。生きるための生業に。

 

ところで物知りのルームメイトに教わったマーケットに行くと、非常に安く野菜が買えて嬉しかった。

Shanghai Bok Choi(おそらくチンゲンサイ)$2.35≒243円

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Spinach(日本のほうれん草とはちょっと違う)すごくたくさん

$5≒517円
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Mini King Oyster Mushroom(小さなエリンギ)2パック

$3≒310円

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他にも小ぶりのトマト5個くらいで180円くらいで、ほくほくの買い物だった。

煙草やお酒にかかる税金が高かったり、洋服に国と州ダブルで税金を取られたり、レストランの食事料金が上がってしかもチップも豊富に払わなければならなかったり、余剰分にはお金がかかるけれども、自炊をしてつつましく過ごす分にはやり方がいくらかある、という印象だ。

とはいえシャワルマもチキンオーバーライスもコリアンチキンもケバブも麻婆豆腐もsushiもramenもバインミーもフォーもプーティーンもパイもタルトもクレープもジェラートもクロワッサンもぜんぶ身近に並ぶ街で、いつまで食指を縛っておけるのだろう。

 

穏やかに過ごしているが、街では気を抜くと尿や汗の匂いが漂う通りに出る。

ダウンタウンでは当たり前に人々がマリファナを燻らして歩いている。

バスでは独り言を呟き続け時々爆発する人や首をがくんと折ってうずくまり動かない人を頻繁に見かける。

カナダに到着する前、トランジットのアメリカはシアトルで、人種差別に遭った。それはほんとうに遭遇、というような感じだった。去年の北米西海岸縦断で、一度も差別的な扱いを受けなかったから。彼は私の目を見ずに私に国に帰れと言った。問題なのは私ではなく、差別ですらなくて、彼の心なのだと思った。日本に帰るなら、帰る前に北米の負の部分にも触れて温度を感じなければならないと強く思う。

 

負の部分といえばもちろん日本人の共通認識のようなものにも宿っている。

ルームメイトの男の子はおもしろく、第一印象からすごく感じが良かったのですぐに仲良くなった。しかし2週間で、印象を良くするために彼がいかに細心の注意を払っているか、そのため私がそうしないことに対していかに理解ができないでいるか、が明らかになった。東京の子なので、ルッキズムが大阪より激しいのかもしれない。モテの話をしていて流れでアドバイスを求めると、見た目のことについて指摘されたので私はショックだったしかなり予想外だった。100%内面的な部分の軽いアドバイスがあると思ったからだ。それはもちろん少し前に「お前は人との距離感の取り方がおかしい」と頼んでもいない指摘をしてきたことにも依る。

彼は個人的な好みに一般的な意見を織り交ぜて、いちばん傷つく形で私が太り過ぎているという旨のことを言った。それだけでなく、女性は基本的にあらゆることにおいてパッシブな弱者であるという認識が見えた。

 

私は、自分の見た目が優れているとは思っていない。人より身体が大きいし痩せにくいので、いつも自信が持てずにいた。しかし最近、太ってるのも悪くないかなと思って、少しずつしたい格好ができるようになってきた。鏡を見てかわいいと何度も言うのは、もはや洗脳のような趣きもあるかもしれない。そしてそれは成功していた。私は自分をかわいいと思うことに人生でやっと成功したのだ。

そこで日本の、モテの中心にいるような、合理的で正しい、男の子に見た目を変えるよう指摘されたのはかなり苦しかった。まだぜんぜん大丈夫じゃない。でもまあこれも過去になる、きっと大丈夫になるときがくるのだろう。

 

アメリカ人男性が「お前は国に帰れ、ここはアメリカやぞ」と言うように、日本人男性は「女は痩せてる方が得に決まってる」と言う。それだけのことだ。どちらも遠い他人の言で、美しく独立した動物である私には関係ない(と言い聞かせる)

 

 

ところでこのブログの趣旨は旅であるのに、かなり逸れているのが気になる。

長い長い旅の気まぐれに書きつけた心情には面白みがないかわりに湿度やその重さがある。

とはいえ普段の旅のさなかもほとんど自分の感想くらいしか書いていないので変わらないのかなとも思う。

 

もう少し海外の、お外の、雰囲気を出せるようなブログを書こう。次からね。

 

 

バンクーバー留学日記

 

 

 

Sep.7

朝起きたら、いつもの時間。6時半で、体内時計が整ってきているのを感じた。

しかし今日は土曜日である。二度寝をした。10時くらいにのそのそ起きる。

日本人ルームメイトは朝から元気、明日のバーベキューについていろいろ喋ってきた。中国人のルームメイトは不在。

お昼に辛ラーメンと自作のチゲ風スープを合体させた麺を食べて、お腹いっぱいになる。

帰ってきた中国人ルームメイトに「いつも休みどこいくの?このへんで?」と訊く。すると「スタンレーパークとかいいよ、無料だし」と言う。ぜんぜんこの辺じゃない。ダウンタウンの向こう、バスで50分くらいかかる公園。

ダウンタウンやん」と言うと「うん、だから週末で人が多いし家にいる方がいいよ」とか言った。ぜんぜん参考にならなかったので「炭水化物食べたしエクササイズしてくる」と言い残して家を出た。

1時間弱歩いて、内海に出た。少し風を感じ、海を見て、船の汽笛を聞いて過ごした。日差しは濃く、でも風は秋の温度。今週末が、最後の晴れを楽しめる土日らしい。バンクーバーは秋から冬、ずっとどんより雨なのだ。太陽との別れを惜しむかのように、人々はバーベキューや日焼け、戯れの海水浴にいそしんでいた。

海のある公園から、バスに乗ってNanaimoというエリアに行く。カフェがいくつかあるのだ。トイレに行きたい場合、カナダではお店か大きな施設に入るしかない。

乗ったバスで、定期券があるのにブーブーと言われる。何度試してもエラー。お金が足りていないと言うのだ。運転手さんはたいてい優しくて、「次払ってね」と言って乗せてくれた。

しかしこれはおかしい。私は数日前にゾーンパスという、エリア内共通の定期券を買っているのだ。

ネットでカードのバランスを見られるので、カフェに入ってチェックするとやはり「-$3.15」の表示。履歴を見ると、なぜか電車に乗ったときのお金がチャージされている。

カスタマーサービスに電話をかけて説明すると、「君がちゃんと出るときにタップしてなかったみたい」などと言われた。「大丈夫、バランス0にしてあげるから15分後には使えるよ」と。でもタップしなければ出られない改札を通っているのだ。そんなわけなかろう。

なにはともあれ使えるようになったからよかった。またバスに乗り、家に帰った。

それから19時に、次に借りる部屋を見に行く予定があった。しばらくネットで家を探し、また出かける。

10分くらいバスに乗り、降りたらコマーシャル-ブロードウェイ駅の周りはウィード臭い。べつに治安、悪かないけど スーパーよくもない感じ。ただ、道にたくさんの国のレストランが並ぶ。アフガン、ジャパニーズ、インディア、など。食には困らなさそうだ。やはり、多国籍な地域よりも国籍に偏りのある地域の方が治安がよいのだろうか。

歩いて着いた家は、間口の少し狭い家々の並ぶエリアにあった。入り口にうろうろしている男性がいる。"Hi, Are you Candy??"私は、伝えられていた家のオーナーの名前を出してみる。まずもってCandyという名前で男性なことはないのだろうが。当然ノーだったし、彼は日本人だった。家の2階から中国人の女性が私たちを呼ぶ。彼女がCandyだった。

どうやら彼は同じ部屋を見るライバルか、と思いながら家に招き入れてもらった。

そこには、食べ物の匂いが充満していた。明らかに韓国人らしい男性が大きなお鍋にスープらしきものを調理し、食べていた。ショウルームの時間は19時だったので無理もない。

リビングには水槽があり、ソファがあった。その他のありとあらゆるものがあり、中国語で書かれたカレンダーがかけてあった。明らかに、メンズハウスだった。

「写真撮っていい?」とオーナーに訊くと、心外だという顔で「ここに来て見てるんだから必要ないでしょ!メモ取りなさいよ!」と言われた。家に内見に行って写真拒否られるって聞いたことないわい。

3階に上がると、果たして借りる部屋は三角屋根の屋根裏部分で、プライベートのシャワーとトイレがあった。バンクーバーでは得ることの非常に難しいインフラだ。専用バルコニーまであった。これで相場よりもかなり低い価格なのだから、私が男ならば即決していただろう。

冷蔵庫にはきちんと棚ごとにラベルが貼られており、テリトリーがはっきりしていた。日本人、韓国人、メキシコ人にスイス人と多国籍でおもしろそうな家だった。

私は「もし!質問あったら連絡するね!」と言って家を後にした。とーんでもない、私は今世、ぜんぜん女なのでとんでもなかった。あー、とんでもなかった!

一緒に内見に来た男の人はそこにとどまっていた。部屋は彼のものになるのだろうか。きっと楽しい生活になるだろう。グッドラック。

今の家に帰ると、日本人のルームメイトが帰ってきていた。フリスビーしようぜと誘われたが、疲れていたしお腹が空いていたので断った。すると、明日のバーベキューに使うプロパンガスを買いに行くついでにフリスビーをしようと食い下がった。私がご飯を食べるまで待つという。

私はレタスとトマトを刻み、お得意のヨーグルト+ほりにしというスパイスをドレッシングにした。それと、昨日の残りのチゲ風スープを食べた。

食後に、日本人のルームメイトとスーパーまで歩いて行った。21時閉店なのに、20時54分に着いた。閉店作業中の店員さん達は、全員で私たちの相手をしてくれる羽目になった。グッドナイトと言い合い、お店を出る。みんな優しかった。

そして夜の公園でフリスビーをした。

私は、自分の人生において、ワセダのノマドの人とフリスビーをするなんて考えたことがなかったので、びっくりした。疲れるまでは楽しかった。

そんないちにちでした。

 

 

Sep.8

この日はバーベキューをした。

朝、また遅寝をして無人の家で起きて用意をしていると、ルームメイトが帰ってきた。もう出るよ、と言う。

とんでもなく間に合わずばたばたする。結局バスを一本逃し、参加者らとの集合には間に合わなかった。バーベキューグリルを買っているのはルームメイトなので、堂々と遅れて登場である。

ジェリコビーチというところに行った。カナダという国は、屋外での飲酒を禁止している。しかしバンクーバーらへんではさいきん、ビーチでの飲酒が解禁されたらしい。瓶はだめだが缶はオッケー。これは嬉しい。

潮風を感じながら、強い日差しの下で火を起こす。プロパンガスの小さいのを使うグリルなのだが、何度も死を覚悟した。プロパンガスって得体が知れなくていつも怖い。

イタリア人の女の子が、耳に煙草を挟んで、指でなにかを練っていた。訊くと、「ハシシだよ」という。小説のなかでしか知らない代物だ!

女の子はモロッコ人とイタリア人のハーフで、モロッコでハシシを覚えたという。大麻の葉を加工して練ったものを煙草に混ぜて吸うのだ。ヨーロッパでは、既製品の煙草を崩して巻き直して吸う人が多いらしい。そのほうが節約になるからだそうだ。

ハシシは、火をつけると大麻の匂いがした。ひとくちだけもらうと、ふつうに煙草が強くてむせた。「ハシシは大麻みたいに強くないから、ただチルするのに使うんだよ」と女の子は言った。ひとくち吸うくらいでは、たしかになにも感じなかった。

バーベキューが終わり、ルームメイトと一緒に汚れたグリルを抱えて帰ると、彼が「打ち上げのビールを飲みたい」と言う。誘ってもらった負い目から、私は付き合うことにした。

歩いて20分のところのリカーストアで、1缶ずつビールを選び、家に帰って裏庭で飲む。気温は高くも低くもなく、ビールのおいしい夜だった。ルームメイトはとてつもなくお喋りだし、私も応えるので話は尽きない。

 

Sep.9

月曜日、学校の授業がない。どうやら、火水木金しかないらしい。早くアルバイトを始めなければならない。

私はまた昼まで眠り、ご飯を食べてショールームに出かけた。部屋探しは続く。

しかし先日のバーベキューでコミュニケーション能力を空っぽになるまで使い果たしたので、頭が動かない。ふらふら歩いてバスに乗り、目的地に着いた。

バス停から少し歩き、学校の前にある家は、2階建てで立派だったが、今度は「女の魔窟」だった。8人くらいぎゅっと人間が住んでおり、物が溢れ返り、フルバスルーム(シャワーとトイレ)が隣り合って2つ並び、キッチンは1つだけで天井が低い。家賃は破格だったし、住んでいる日本人が いいですよ〜 と言ってくれたが、精神衛生の悪化を懸念してやめておいた。

帰り際、安いスーパーで買い物をした。カナダに来てから、まだ1日目のお昼1回しか買い食いや外食をしていない。優秀だ。

帰って、でっかいパックで買った生のウインナーを茹でて冷凍した。

 

Sep.10

学校。

朝起きると中国人ルームメイトがシャワーを浴びており、トイレを我慢。これがたびたび起こる。

朝からうるさい日本人ルームメイト。この私の暫定の日常を、思い出して懐かしむときはすぐにくるのだろう。

学校はするーっと終わり、放課後に暇そうなクラスメイトがいて、コストコに行こうかなと言っていたので便乗する。

カナダのコストコは会員料金が日本より少し高い。月換算で6〜700円くらい?とクラスメイトは言っていた。

大きなカートを押して歩く。私は新たなショールームまで暇だったので、カナダコストコ見学のつもりだった。お肉が数キロ単位で売られていた。金額の表示が1キロ何円だったので、ぜんぜん検討がつかなかった。クラスメイトは丁寧に説明してくれた。「身体を鍛える人はね、このターキーのハムを食べるんだよ。脂質が少ないからね。」と。何を買えば得か、これを買うならふつうの薬局でもよい、薬局ならここが安い、などずっと説明して回ってくれた。

私は「バナナ買いなよ」と言った。自分が毎日学校で休憩時間に食べており、バナナの栄養について何人かで話したことがあるからだ。コーナーに行ってみると、1キロ2ドル、200円強だった。破格だ。私にも魅力的だったが、大きなベーグルの袋2つをカートに入れているので、断念した。彼はカートに入れた。

彼は最終的に、缶のコーラ約3ダース(大麻よりも依存性があるらしい)、マリナラソースの瓶2つ(コストコブランドのものは食べたことがあるので、違うものを試してみるらしい)、バナナ(1キロほんとうに200円だった)を購入して、バックパックに詰め込み、バナナは手に持ち、欲にまみれた二宮金次郎のように前傾姿勢になりながら、バス停まで見送ってくれた。

自分から人を誘うのは気を遣ってしまう、ほんとうは嫌なのに嫌々来てくれるのかと思うとどこにも行きたくなくなる、と言っていたが、最後に「ベーグル買いたかったりしたらまた言ってね」と言ってくれた。女の子はぜったいラテン系がよくて、毎日大麻を吸っている、おもしろく心優しい人だ。

ショールームは、すごくよい場所で、昨日見たところのほとんど倍の値段だが、私ともう1人きりで設備を使えるのと、オーナーがすごく感じがよかったので、そこに決めた。

長きにわたるお部屋探しに終止符。Craigslistを主に、Kijijiを少しだけ使いました。サイトの名前です。Kijijiはカナダローカルで、バンクーバーでは近ごろあまり使われていないようだったが、巡り合わせは不思議なものでこっちで見つけた。

帰るとなんかルームメイトがピザの箱を抱えて帰ってきて、放課後バスケで疲れすぎてビールを飲みたいと言った。次のバーベキューも誘ってやるから付き合えと脅迫され、しぶしぶ承諾する。疲れすぎているのに20分かけてビールを買いに行きたいことの意味がわからなかった。

しかしラッキーなことに、彼がバスケの公園に服を忘れててんやわんやしてる間にビールがなしになった。よかった。

 

Sep.11

朝から学校。7時に起きると、ルームメイトたちが一斉に部屋から出てきた。トイレ大混雑。そのあと、みんないっせいにキッチンを使うので笑ってしまった。ぜんいん出発の時間てんで違うのに。

学校で、勇気を出してクラスメイトの皆さんを週末の飲みに誘ってみた。すると、10人いるのに、10人全員に断られてしまった。バイトがある、とお酒を飲めない、が合計9人、予定はないが仲良くない人とお酒は飲まない、が1人。なるほど。私のタイミングも悪いけどじゃっかんとりつく島もないな。なんか、だって、女の子たちは「次また誘って♪」とかもないんやもん。男の子はあったけど。

そう思うと、同時入学のお姉さん以外、クラスで話せるのは男の子だけである。彼らにはひっかかりがあるので、話せるのだ。発言内容から、何が好きとか何に興味があるとか。

しかし女の子たち!!!みんな服が好きという情報しかない!!!白ワインが好きという情報がある女の子には仲良くならないと飲めませんと断られている!!!詰みである!!!!!!

日本にいるときは、女の子のほうが感じがいいし仲良くなれると思っていた。しかし徒党を組んだ女の子たちのすーんとした感じはほんとうにとっつきづらい!!!知らなかった!!!

帰ってルームメイトに愚痴ると「きみちょっと人との距離感へんだもんね。バーベキューのときうまくやれてたじゃん。あのときみたいにクラスでもちゃんと猫かぶってんの?」と一刀両断されて泣きそうになった。同じものを学ぶ人たちに対して少しゆるめてしまい、猫の毛皮は剥げているかもしれない……。ていうか私って距離感へんなんや…………と落ち込む。

落ち込みながら晩ごはんをつくっていると、ほんの18時前なのに中国人ルームメイトも作り始め、日本人ルームメイトも作り始め、またキッチン大混雑。20分待ったらゆっくりつくれたんちゃうん。

そしてなんか甘いもの食べたいな〜というルームメイトに便乗して、近所の韓国系カフェで甘いものを摂りながら勉強をした。

ショックだったし、けっこう萎えてたけど、家に人がいるというのはいいことだし、笑い飛ばせる人と仲良くなれてよかった。

 

 

 

 

そんな、カナダ到着1週間目の日々でした。

 

 

2024年夏 ベトナム旅行を終えて

 

 

ベトナム旅行は、けっこう英断だった。

今まで 東南アジアには一度も行ったことがなかったからだ。想像するしかないバイクの行列、賑やかな市場、暴利を得ようとする客引き、飲みやすいさらさらのビール、大気汚染や不衛生、独自の食べ物パクチーの匂い……。

空港に降り立つとピンク色のプラスチックみたいな匂いのする北米にしか1人では行ったことのない甘ったれた私にとって、初東南アジアをひとりでこなすのは不安。どんな体験が待ってるのかわからなすぎて、帰国後の想像さえできないほどだった。どんなものを見て、どんなふうに変わるのか? 変化というのは不可逆で、初めての東南アジアという逆ガリバートンネルを経て たぶん経験分大きくなった自分が、今の自分とまったく違ってしまうのは自明だ。トンネルが不透明すぎて無事に帰って来られる想像さえできなかった。

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ガリバートンネルは、ドラえもんの秘密道具のうちのひとつ。通り過ぎるとガリバー漂流記の小人みたいに小さくなる。

 

旅を経て、いちばん変わったことはなんだろう。スタンスや価値観さえもいつだって不可逆で、いろいろ感じる前とは気づいた時には決定的に違ってしまっているが、それでもすべては地続きにある。

大学の授業で、教授が「アジアはエキゾチックで秘められていると、西洋の人々は考えていた」と話していた。「帝国主義的考え方で、アジアは無理やり拓かれる弱い立場の女性のようなものだった」と。たしかに、アジアは秘められている。カオティックで賑やかな往来のただなかにいてもなにも理解できていないような気持ちに、外部の者はなる。当たり前だ、アジアの人々は西洋の言葉で動かないし西洋の距離感で人と接さないし西洋の挨拶はないし西洋の交通ルールもない、なにしろ、すべてにおいて基準がもうまったく違うのだ。英語で少し本を読めるようになって、感じたもどかしさは「軽口の常識やその時々の流行り物があまりにも違うから背景をまるで把握できない」というものだった。文脈や前提が素地として ないと、内容は理解できない。だからアジアは必然的に西洋からは秘められていることになる。

 

 

アジアンスマイルについて

しかしベトナムは私には秘められていなかった。私は自分がアジアの顔を持っていることをこの旅で痛感した。そのアドバンテージを。これが、旅に出る前と地続きの、それでも不可逆な自覚だろうと思う。

ベトナムの女性たちは基本的に短いズボンを履かない。はすっぱに見える女の人たちが短いスカートを履いていたり、小さい子のママが短パンを履いて動き回ったりしていたけど、基本的にはみんな丈の長いズボンを履いている。ぶかぶかしたステテコのようなズボンだ、間違ってもデニムなんか履いてる人はいない。だから短パンで ずかずか歩く私は目立った。そう、歩き方もまったく違う。ベトナムの人は男女共に重心が後ろに寄っている、少しアンニュイで投げやりな歩き方をする。私は好奇心が推進力だし、そして姿勢を正そうキャンペーン中なので、歩くときは背筋を伸ばして大股でぐんぐん歩く。そういう歩き方をするともちろん汗だくになるので、ベトナムの人が気だるげに歩くのは理にかなっているだろう。

そんなふうに明らかに違う文化で生まれた人間が、観光客のまったく来ない街中を歩いているので、どこでもしきりに視線を集めた。いや、まあ、視線は集まってはいなかった、みんな、思い思いに見てきた。というのは、みんな何をするでもなく軒先に座っているので、それぞれの視線が私にばらばらと向いた。

しかし、まあ、どこででも視線を受けて私が心から笑うと、彼・彼女らも心から笑うのだ。ああこれが"アジアンスマイル"か、と腑に落ちた。

アジア人は、あんまりにも無防備に、心の底から笑ってしまう。ほんとうなら親しい人にしか見せないはずの、解けた笑みを他人に向ける。そしてその笑みは他人の心をも解く。

母が、私と妹の小さな頃から常に笑顔を向けてくれたので、私は周りの人から常に「笑顔よしさんやね」と言われて育ったらしい。当たり前に見た目は変わっているのに小さい頃の知り合いに会うと「変わってないね」と言われる。私の笑顔はたぶん、幼稚園児の頃からずっと変わっていないのだ。色々なことを知って自分を無垢だとは思わないが、たぶん、笑顔だけは無垢なんだろう。そしてその無垢な笑顔(厚顔無恥にも)が、言葉の通じないアジア人同士のコミュニケーションとして通用したと思った。

どうして無垢かというと、恥に塗れていないからではないか。日本では恥ずかしそうに、自重的に笑うシチュエーションが多い。それは自分のためだけの、形だけの"口角を上げる仕草"なので、共感も親しみも得られない。私は相手がそんな笑い方をしたときには、ぜったいに笑ってあげない。どこまでも閉じた笑い方で、私には関係ないから。開かれた無垢な笑顔というのは、待ち合わせ場所で相手を見つけた時の笑顔、がいちばん近いと思う。関係ない他人まで笑顔にしてしまうような親密なあれ。

西洋人には真似できないと思う。笑顔をアイコンにしているからだ。敵意がないと示すためのツールに。

というより、言語が通じなければ親しみなど生まれ得ないと思っている文化的強者の間では、あり得ない笑みなのかな? 子どもじみた笑みと言ってもいいかもしれない。子どもは不必要に閉じないから。自分は簡単には理解されない複雑な人間だ、と思って生きている人には破顔はできないと思う。

アジアンスマイルは、単純な自我、ピュアな自分、100%一人称の客観視ゼロ、な笑顔だから人の笑顔を呼ぶのかも。

 

 

 

基準というもの

私は基準に疎い。日本社会に生きる同年代のスタンダードからあまりに外れて生きてきた。だからこそある程度どこでも生きられるのかなと思う。

トイレ。誰しも、「左手は不浄の手」とするインドの風習について聞いたことがあると思う。トイレのときに始末をするのはティッシュじゃなくて左の手、みたいな。極端だが、そういうエクストリームなことが世界に存在することは知識としてみんなが知っている。しかし、実際に体験するのとは違う。体験すると、「不潔すぎてありえない」という感想が出るだろう。それは、普段の自分の基準、スタンダードが別の数値に設定してあるからだ。トイレは水洗、トイレットペーパーは備え付けでトイレに流せる、床にはなにも落ちていない、手洗い場が必ずついている………。

同じに、「ベトナムで生野菜は食べない方がいい」とそこここで書かれているのを見た。「ベトナムの水道水は大腸菌などの基準値がゆるいので日本人はお腹を壊す」と。これも基準の問題だ。ソフトではなく、ハードの。身体が、たくさん精製された水に慣れている。身体の基準が日本の水道水のレベルに設定されている。お水でいうと軟水か硬水かだってそうだ。日本の水は軟水なので、硬水を飲むとお腹を下す。それも身体が慣らされた基準が、そこに存在するということ。

しかしその基準が揺らぎうるものだということを、真に自覚するのはけっこう難しいもんだなと思った。

ベトナムで、スターバックスみたいな、シアトル系のカフェに入ったとき。お客は、ぜんいん自分のコップやお皿を片付けずにお店を出る。しばらく放置されたそれらは、気づかれたタイミングで店員さんに片付けられる。日本でお客がそれをしたら「片付けて行かないなんて非常識!」となるだろう。

また、ベトナムではバイクが平気で歩道を走る。信号を待っているとき、ショートカットしようとして人々は歩道に乗り上げ、ぶーんと進み、また車道に戻る。基準うんぬんの前にまず危険やろと思うようなものだが、これも日本では言語道断、許されないけどベトナムでは(法的には不明だが)スタンダードの域を出ない。

基準が違うということに、良し悪しはない。ルールが明確でみんながそれに従っているということも、ルールが不明確でカオスが生まれているということも、どちらもその文化ではれっきとした基準なのだ。

そう思えば、"発展途上国=developing country"というアイデアがいかに上から目線であるかということがうかがえる。"発展"の基準はどこにあるんだ?

私は交通整理されて信号を待たないと渡れないみんなスマホ歩きの交差点よりも、人々の裁量に任された有象無象の横切る交差点の方が渡りやすいけどな。

 

 

観光という産業

ベトナムは、観光が盛んな国だと思う。同時に、日記でも触れたが食料自給率が100%を超える農業大国でもあるので、観光立国というわけでもないだろうが。

いま、全世界でオーバーツーリズムが問題になっている。イタリアでは市民の市場にジェラート屋さんばかりができてしまったり、スペインでは地価が暴騰し地元の人がもはや住めない街があったり。日本でもそうだ、京都なんて、おもしろい街だけどもうよっぽどの理由がないと行きたくない。電車もバスも外国人がひしめいて、どこの国の基準も存在しないそこは動きづらい。北海道では外国人が土地を買い占め、観光バブルが起きているという。地元の人では手が出ないような値段で海鮮丼が売られている。それも欧米の人たちから見るとaffordable(=お手頃、購入可能な)な金額なのだ。

日本の株価が上がり、円安も収まり気味で景気はどうやら回復傾向にあるのに、子育て世代の日本人の暮らしは楽にならない。じっと手を見る、なんて、解決にならない、問題は、下にない、上だ。円が日本人の頭の上を飛び交っているだけで、私たちに利益は降ってこない。

外資系のホテルで働いていたから知っている、管理職の半分は日本語をつゆほども喋らない外国人だ。自分のいたところだけじゃない、他の大阪の外資系ホテルも、トップが外国人にすげかえられてその人の出身国のお客がたくさん出入りするようになったと聞いた。

観光とは、なるほど、土地のもの(食べ物、景色、下働きの人間)を利用した外国人のお金儲けなのか。まるでテーマパークだ、世界中にあるホテルの1階のバーが大好きな欧米人たちが見て回るための。

日本でも観光名所のチケットや飲食店での、外国人価格の設定が取り沙汰されている。愛読した世界一周ブログで見たことのある概念だったので、私にはすんなり受け入れられた。適用の理由は、「英語メニューを用意したり、多言語話者を雇ったりするのにお金がかかるから」という。適用は善なのではないかと漠然と思っていた。円は弱いし外国人はお金を持っている。たかればいいさ。

しかしベトナムで、現地の人たちと同じ値段でバスやバイタクに乗り、麺料理を食べて思った。なーーーんや外国人価格ってテーマパーク料金か。基準を欧米にしてあげる代わりに、言語や文化の段差なしにゴルフカートで移動させてあげる代わりに、余分なお金をいただきますよと。

じゃあ私には関係ないや。だって「トゥー✌️サウザン!」と入り口で言われ、指差しで掛ける椅子を教えてもらい、席に着いたらお料理が出てきたらいいんだもん。そこに彼らの商売はあれど、外国人への特別扱いはない。

シームレスを目指すならテーマパークでそりゃあいいわな。

だから、観光地価格というのは、テーマパークに外国人たちを閉じ込めておくのにちょうどいい。外国人の闊歩する 誰にも見向きされないホー・チ・ミンの街中を出て、橋を渡るとみんなが奇異なものを見る目で見てくる、あの橋が「段差」だったとしたら、もちろん必要だ。私はよいしょと超える、もちろん日本で、奈良でも秋田でもよいしょと超えてる外国人はちらほら見た、そういうよいしょを苦に思わない人間には外国人価格なんて関係がないんだから、弱い国になった日本では、欧米人の幸せで安全な戯れを用意するためのエクストラ料金の設定は妥当だ。

 

 

⭐︎ベトナムの街

忘れる前に記憶を書きつけて、脳から出して永久保存しようとする。言語化固執している者として、街の風景を描写して残そうと思う。

 

空は薄曇り、理由が天気なのか大量のバイクなのか経済発展なのかはわからない。それでも高い気温のなか、太陽が隠れてくれているのはいくらか気の休まることだ。湿度が高いがときたま風が吹く。立ち止まっていると過ごしやすい、と思う。歩きだせばたちまち服がぐっしょり汗で湿る。

街中の木は大きい。樹齢は50年以上だろう。日本の街では見ない大樹ばかり。戦争を越えてきたのだろうか。燃やし尽くされたあとに植えて、暖かな気候にぐんぐん育ったのか。歩道はペイブメントで舗装されているが、その下を脈々と木の根が鼓動するので足元が悪い。少し雨が降るとあちこちに水たまりができ、その場合清潔でいることは諦めなければならない。

樹々の幹は太く、針葉樹は見当たらない。すべてが色の力強く濃い広葉樹だ。鍾乳石のような枝葉を垂らす南国の木や、葉のあちこちを薄紅色に染めたブーゲンビリアが揺れる。日光のしたで活き活きと伸びた枝が地面に影を落とし、ときどき飲食店がそこで涼を売り物にしている。

人々は重心を後ろに持ち、ほとんどすり足で歩く。気だるげに歩くのはでも、汗をかいてしまわないためだろう。それでも暑いのか、中年男性たちはしばしばTシャツの裾をめくれあげさせて大きなお腹を露出している。それなら脱いでしまえばいいのではないかと思わないでもないが、彼らなりのモラルなのだろうか。

幅の広い歩道だと軒先にはひさしが出ていて、飲食店の立派な客席になっている。傍にお客や店員のバイクが所狭しと並んでいるので歩きにくい。店のなかを突っ切る形で歩道を歩くことになる。人々はなにをするでもなく、おのおの冷たい飲み物を前に座って往来を眺めている。「何もしない」が究極に許されている。

大きな道を渡る。信号機は、備え付けられていないか、あっても右折可の道路なのでつねに気をつけていなければならない。日本や韓国のように、信号が青だから、横断歩道があるからといってスマートフォンを見つめながら渡ると事故に遭うことになるだろう。いや、あるいは、ならないかもしれない。バイクや車の運転手たちは、交差点のたびに速度を時速20kmくらいまで落とす。そして注意深く横断する。自らが横断するのだという図々しさと、人間を轢かないという配慮ともいえない配慮が共存している。だから成り立っている道路事情なのだろう。左折する車がいたりして、車列は必ず途切れるときがくる。それを狙って、歩き出す。えいや、と少し力を入れて。視線は常に車のくる方、自分の進行方向を見るということは祈りを意味する(「いま、轢かれていませんように!」)。運転手らと視線を合わし、ゆっくり歩くべきときと、ばっと走り出すときと、見計らって渡る。毎回、だから注意が要るのだ。

大きな道に面する通りに、ビアホールが散見される。半屋外の、その名の通りビールを出すお店。それはお昼から開いていることもあって、人もちゃんとまばらに入っている。しかし雨の多い国なのにこんなに開放的なお店が多いのはどういうことだろうか。湿度が高く、すべてが濡れているのに、湿ったいやらしいところのない国だ。

歩いていると不意に、市場に出る。それはふつうの道の延長にあり、いつのまにか迷い込んでしまう。お米屋さんがある、お魚屋さんがある、そんなふうに思っているうちに、道をひとつ覗けばもうそこは車の通れない市場なのだ。奇跡のような賑わい。ベニヤの板を箱の上に置き、そこに生肉をそのまま載せて売るお肉屋さん。お客さんは豚バラ肉のブロックを素手で掴み、品定めする。にんにくだけを載せたリアカーが、kg単位で実ごとにばらばらになったそれを売る。お魚屋さんで、タライいっぱいに入ったお腹を見せたカエル。逃げ出そうとするヤドカリみたいな生き物。地面は慣れている。人はそれぞれに話し、笑い、ゆっくり歩く。これだけの人々がみんな知り合いなのだろうか? 女の人が多い、老いも若きもビニール袋いっぱいに食材を詰め込み、持ち歩く。彼女たちはどんなふうにこのたくさんで新鮮な食材を、まさに材料たちを料理するのだろうか。何人用の食事? キッチンで振るうのは中華鍋みたいに深い鍋か、それとも浅いフライパンか? 間違いなくこの賑わいを構成するひとりひとりに帰る家があり、食べさせる家族がいる。ここにいる誰1人として、寂しそうではない。それは停滞を知らないエネルギーだ。市場を出て、車とバイクの往来に戻るとほっと一息つく。

立ち止まる。汗に濡れた顔に風が当たる。濡れているからこそ吹く風をさやかに感ずる。それは、街の、排気ガスの、食べ物の、水の匂いがする風だ。すべての物事がそこにあるがままにあるので、不自然なものがなに一つない。風と湿度を喧騒と倦怠をしかめ面と笑顔を、矛盾させずに包含している。

 

ベトナム、楽しかった。ほんとうに楽しかった。

ぜったいにまたくる。そして、今の私で来られてよかった。

 

 

2024.07.26-27 クアラルンプール国際空港-マレーシア

 

 

 

ついたぞ!クアラルンプール!

時刻は20時前!5時の飛行機搭乗まで、9時間のレイオーバーをここで過ごします!

うおー、でかい。

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トイレ、なんか、ほとんど和式。
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「和式」とはどういう、?

調べたら、あのいわゆる陶器の和式便器が和なのであって、ヤンキー座りする排便スタイルを言うのではないらしい。ママが公園で見つけた"さわやかトイレGoogle it please)"も、和式ではないんだ。

そして感動、ベトナムでは一度も見たことのない消毒のやつ。

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まあ、洋式1つしかなくて、私が和式ばっかりやんけ!とショック受けてる間にスッと入ったヒジャブの女性が便座びしゃびしゃにして出て行ったから衛生的ではぜんぜんなかったんやけど。

トイレの注意勧告、へんすぎた。
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右上、"You can flush away your hopes and dreams,but not sanitary products."「希望や夢をトイレに流すのは自由ですが、生理用品は流さないでください」

なんてこと言うんや!!?!!?!?希望や夢も捨てたらだめやろ!!!!!

少し冷たすぎひん!!?!?!?

 

トイレ近くにあるお祈りエリアは手厚い。マレーシアはイスラム教徒が多いらしく、街中ではモスクが観光名所になっている。
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こんなにレイオーバー長くなるなら、外に出られればよかったけど。マレーシアでもGrabは使えるそう。電車でも1時間以内でクアラルンプール市街地まで行けるらしい。本来の、17時ごろマレーシア着、なら市街にでられたのにね!格安航空会社を使っているので文句は言いません!

 

精神的にけっこう疲れた私は、20時から5時の9時間レイオーバーにカプセルホテルをとった。

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1泊 アゴダで6,874円。個室のホテルだとふつうに1万円超えてたので、まあいいでしょう。

ちなみに飛行機を降りてすぐ買ったお水は1.5リットルくらいで7マレーシアリンギット(≒230円)。空港価格ではあるだろうが、許容範囲だった。喉乾きすぎてレート確認することなく買ったけど、それってめちゃくちゃ本末転倒。でもさ、お水のボトル0.5リットルに700円以上する空港なんて他にそうそうないと思わへん?関空だって200円もとらへんよ。ドル表記でなんてもちろんないし。

 

チェックインに行くと、ヒジャブ姿のにこやかなマレーシア女性が迎えてくれた。黒を基調とした、2000年前後のアメリカ映画で出てくる近未来像みたいな内装。

パスポートを渡すと、「ん〜、やっぱり……」「なに?」「あなたが予約したのは、セキュリティゲート外のターミナル間のホテルの方みたい!」

どうやら同じ名前のホテルが、セキュリティ内外に2つあるらしい。「でも大丈夫」と私の顔が曇った瞬間に女性は言ってくれた。「予約をこっちにスイッチできるから大丈夫」「ひぇ〜!?ゆー せいぶ まい らいふ〜!」「ちょっと時間ちょうだいね😊」「私みたいな人おるでしょ!?」「いるいる😊」女性は終始にこやかに予約確認をしてくれた。

しかし予約を入れたのは10分くらい前だったので、システムに落ちてきていないよう。時間がかかるみたいだったので、「荷物 ここに置いてちょっと出てきていい?」と訊いた。海外旅行を経て、私というのはずいぶんと厚かましくなったものである。「あ、いいよ!ご飯食べに行くの?」と、女性は快くカウンターのドアを開けて(いいの?)、自分の隣の椅子に私のバックパックを置かせてくれた。また後でね〜!と言いながら別れる。

思うに厚かましくなるというより、言ってみてできるならそうしてもらい、無理なら引き下がる、そのために勇気を必要としなくなったという感じか。それでも日本で申し出たら厚かましいの域に入るやろうけど。

というか、「ちょっと出てきていい?」がイコール「あんた作業遅いなあ待ってられへんわ」になってしまうのが日本の非言語コミュニケーションなのかも。こちらとしては、"待ち時間があるなら構わないので先にご飯を食べに行く"なのでそう申し出て、海外ならそれがそのまま通じる。しかし日本だと曲解されやすい。言葉にたくさんの意味を持たせる文化だから、その分ただの言葉をぽんとそこに置いても言葉のままに解されにくい。

 

さて!クアラルンプール乗り換えの便を選んだのは、もちろん安さもあるが、ラクサが好きで本場で食べてみたかったからだ!

ルーズリーフに旅程を組み始めた当初は、シンガポールに行くつもりだった(あとタイも!)。だから街中で食べられると思ってたけど、時間の関係でベトナム一本になったから、ここで食べておかないといけないのだ。

ほんとは今回の旅ベトナム中部も行くつもりだった。当初は だからハノイ→ダナン→電車でフエ→ホーチミンバンコクシンガポールと飛行機で巡る予定を立てた。それぞれ2泊ずつくらいで、2週間弱。ほんと言ったらぜんぶバスか電車で移動したかった。そうなるともっと時間かかるね。

そもそもルーズリーフで予定を立てる前は「日本を旅行しておきたいし東南アジアはいいかなあ」と考えていた。それを大叔母に話すと、「日本は数年後もいっしょ!東南アジアは北米に住むと格段に行きにくくなるから、今行く方がいいよ」と背中を押してくれたので、実行できた。大叔母が数年過ごしたバンコクに行きたかったんやけど、今回のベトナム旅行で東南アジアへの足がかりができたので、また日本に帰ってきたらトライしようと思う。

バンコクは同時に、『君の名前で僕を呼んで』という数年前にヒットした映画の、原作の一節で出てきた土地でもある。主人公エリオとその恋人オリヴァーが、ローマで詩人の出版パーティに出席することになり、その場で語られた「微笑みの国」の話。それが心に残っていて、行きたい国のひとつになっている。

 

世界にまだまだ行きたい場所があるのは、幸せなことだ。

 

クアラルンプール国際空港のレストランと日本語で調べると、地元で人気のレストランが入っているという。これは見逃せない……。

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空港の案内所で聞くところによると、空港内にはカリーラクサを出す「NOOODLES」というお店はあるが、アサムラクサというマレーシアっぽい方を出すお店はないという。

まあだからNOOODLESには2軒目に行こうかな、と思って、まずはAhh-Yumというマレーシア料理屋さんへ。
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なんか店員さんの態度がゲロくそに悪かった。まず、私は「メニュー見ていい?」と訊いてからレジのメニューを手に取った。悩んでから注文したら「いまこれ(ライスのプレート)しかない。」とか言ってメニューを指す。お前頭おかしいんか?ほな私がメニュー吟味してる間に言えや時間の無駄やんけボケ、と思ったけど言わなかった。「ああそうじゃあそれ」、でも、周りを見るとおっさんは麺類をすすっているのだ。

めんどうだから明らかな外国人にはライスのプレートしか出さないことにしているのか、おっさんが食べてるのはまかないなのか、なんか知らんけどまったくいい気持ちにはならなかった。

プレートは彩り鮮やか。
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アーヤムゴレン(?)36.65リンギット(≒1,212円)まあまあいい値段する。

マレーシアの物価は、日本の1/3〜2/3くらいだという。ただ、この後で出会った日本人女性からすると、日本円が弱いので体感の物価はそんなに変わらないようだ。

お肉はしっかりしてるし、右手奥の魚介系の超辛いカレーみたいなやつは美味しいし、青く炊いてる(バタフライピーとか?)お米はぽくぽくして美味しかった。

フードコートでひとりでご飯を食べていると、目の前を韓国か中国の若い女性のグループが通った。店員さんはインド系とヒジャブを被った人が多い。少し離れた卓に中央アジア系の肌の白い男の人。すぐそこのカフェでは太った短パンの白人。インターナショナルってこういうことを言うなあ、とインターナショナルエアポートで思った。みんなOh!!ワーオ!とか言わずに存在してる感じ。てことは空港の基準はどこまでも欧米的なんだろうな。

 

次は階下のNOOODLESへ。アジアの麺がいろいろあるとか案内所の人は言ってた。

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インド人の店員さんがレジをしていて、それなのに中国人のお客さんが中国語でめっちゃ話しかけていた。店員さんは嫌な顔ひとつせず、対応してあげていた。

マレーシアやシンガポールは中華系の人が多いという。ラクサなんてまさにニョニャ料理という東南アジアと中華料理を親に持つ料理だ。中国人が中国語が通じると思って話してくるのは日常茶飯事なのだろう。

カラーラクサ 29.90リンギット(≒988円)
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行ったことないけど、つるとんたんくらい器おっきい。

ラクサを初めて知ったのは、これもカナダへの留学中。ケロウナという田舎町に、なぜかとても美味しいラクサ屋さんがあったのだ。この世の麺類のなかでいちばん美味しいと思った。みなさんケロウナにお越しの際はぜひ"Mad Mango Cafe"へ。

打って変わってカリーラクサは、かなりカリー。

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具は、殻付きのエビと厚揚げらしきもの、割いた鶏肉などたくさん入っていた。麺はスーパーで40円くらいのソフト麺みたいだった。スープだけ濃厚で美味しかったからたくさんいただいた。

総合して、その国の料理を空港だけで味わおうなんて舐めた行いだったんだ……というのが感想……、、セキュリティゲート通ってないし、行ったことのある国にマレーシアはカウントできないな。

ぱんっぱんのお腹を抱えてホテルに戻る。

途中で見たお土産屋さんには、中国語表記のものがたくさん置いてあったり、イカの干物みたいなのが置いてあったり、東アジアなラインナップも散見された。

受付のお姉さんは私の顔を見て「あ!予約見つけてあるわよ〜」と言いながらパソコンで作業を始めた。心の中で(なぜ予約を見つけたときに手続きをできるだけ進めておかないんだ……)と思ったのは私が日本人すぎるからだ。入り口にあるホテルのグッズ、フーディーや水筒などを眺めて時間を潰した。

2階構成のバンクベッドが並ぶので、「できれば下の階にして❣️」とリクエストも忘れずにし、

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清潔なリネンとプライバシーをゲット😭

共用シャワーもめっちゃきれい。タオルの貸し出しはもちろん歯ブラシや耳栓、アイマスクとお水もくれた。

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歯ブラシが黒くてかっこよかったので撮影した。

汗を流して横になる。ブログを書いてから3時間くらい寝た。

 

起きて、ぱぱっと用意をして、チェックアウト。アウト時の店員さんは同じくヒジャブ姿だったが、出勤したてかして機嫌が悪そうで、この人がインの担当だったら私セキュリティゲート通ってもう一個の方に行かなあかんかったかもな……と思った。セーフ。

で、まあそう、セキュリティゲート内におるという慢心で、私は5時にホテルを出た。だって入国してないんだから。

それなのに、搭乗ゲートへ向かうホールには、セキュリティゲートがあった。長蛇の列。こんなに朝早いのに……。

一度は列の後ろに並ぶも、このペースじゃどう考えても間に合わない。他人任せの私は、「CAさんとか呼びにけえへんのかな」と考える。だって日本の国内線だと、よく「何時の〇〇行きにお乗りになるお客様〜!」と係員さんが声を張り上げている。そこで集められて、保安検査場をショートカットできるやつ。

しかしそんな親切な制度はないらしい。私はベトナム出国を思い出す。周りの人に説明し回ってワープした韓国人のグループ。

おもむろに、目の前の中東ナイスミドルに話しかけた。「私の〜……飛行機、P6ってゲートから出るんやけど……あなたも?」同じ飛行機に乗る人がいるかまず確認したかった。「僕のはP6と違うよ、でも君もここで間違い無いと思うよ」「あ〜…うん………そうよね………いや、飛行機、あと20分で出るんやけど……ショートカットしたほうがいいと思う?」おじさんは、「じゃあ行きなよ!」と真顔で言ってくれた。「サンキュー!」と言って私は走り出した。誰かのゴーサインがないと動き出せないのは情けないが……。

列を超スキップして、先頭がアジア系だったので避けて、2番目に並ぶアフリカ系女性2人に説明した。「エクスキューズミー、私のボーディングタイムが…」くらいまでしか言ってないのに、女性はみなまで言うなという顔で「あ〜オッケーオッケー行きな」と言って割り込ませてくれた。英語圏の人ではなく、過剰にフランクでなかったのが逆にありがたかった。

ちなみにアジア系の人を避けたのは、英語が通じず無駄なやりとりが増えるだろうと思ってのことだ。髪を編んでいるアフリカ系の方なら高確率でわかってもらえるだろうと思った。ナチュラルなアジア人差別を、アジア人のくせに行使している私を笑ってください。

そして避けたアジア人の家族は、「早よしいや」「そこにカバン載せて」と話していた。めちゃくちゃ同言語を話す人たちだった。

はえ、すいません!関空行きですか!?」と話しかけると、「そうですそうです!」と百戦錬磨みたいな顔のお母さんが笑顔で答えてくれた。遅刻しているとき、一緒に遅刻している人がいたら気持ちに余裕ができる現象。

小走りになりながら関西家族とつかず離れずゲートに向かうと、もう全員搭乗手続きを済ませているようだった。

しかし私はお水を持っていない。5時間のフライト、ノーウォーターは言語道断だ。CAさんに「ちょ、お水買えるところありますか?」とあせあせしながら訊くと、「飛行機にありますよ〜」との答え。「えと飛行機でできるだけ買いたくなくて……」と言うと「無料だよ!😊」

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お兄さんが、あたたかな機内食とお水をゲートでくれた。「遅れたから!?」というと「そうだよ〜」と。嬉しい誤算!

ちなみにお水はしっかり1本渡されたのが、小さくて足りないので「もう1本くれたり、、、しない、、?🥺」と訊くとぜんぶで3本くれた。すみません……。自販機で買えたなら買うんやけどさ!

 

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3・3・3のシート、真ん中の列のいちばん右。快適〜と思って座ると、隣の女の人が話しかけてきた。

「日本語だあ〜!」とか言ってて「そうですよね〜」みたいな変な返事をしてしまった。

話すと、娘と一緒にマレーシア留学に来ていて、一時帰国するのだそうだ。娘さんは斜め前の席で眠っていた。

飛行機は、なかなか出発しない。CAさんたちは、日本人男性2人の名前をしきりに呼んでいる(「〇〇 〇〇様いらっしゃいますか?」)。どうやら乗り遅れている人がいるみたいだ。定刻ギリギリまで待って、それでもおじさん達は現れることなく、飛行機は走り出した。

隣の女の人はしきりに私の身の上のことを訊いてくる。「留学はどちらに行ってたの?」「ご両親はどんなふうに心配してたの?」「お水3本もらってるなんて生活力がうかがえるね(これは図星)」………、、「すごく個人的なことを訊くんだけど」「はい」「コロナのワクチンって何回打った?」私は内心(おお〜〜〜)と思ったが、顔に出さずに「あー、2回〜、ですねえ」と答えた。

まあコロナワクチン反対強硬派みたいで、知り合いに医師団体のトップがいるとかで怖かったので、娘さんの隣が空いてる(さっきの日本人男性2人の席だ)ことを教えてあげた。美味しい機内食ビリヤニを味わう時間と、安寧な眠りを手に入れた。

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長時間のフライトって身体的にはもちろんしんどいが、みんな揃いも揃ってだらしなく眠るのであの雰囲気はちょっと好きだ。東に向かって飛ぶので、飛行機の外はずっと明るい。奇妙な連帯感は、しかし着陸の案内が流れて薄まってゆく。

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着陸していちばんに思ったのが、「色の淡い国だ」ということ。

空の青と大阪湾、空港の手入れされた芝が目に優しい。極端なことがなにもない、ぜんぶがよそで起こってる、穏やかな国なんじゃないかなと思った。クーラーの効いた図書館そのものみたいな。遮断された蝉の合唱、言葉が違うのでどのみち意味をなさない。

シートベルト着用ランプが消え、強硬派のお母さんが「ハブ ア グッデイ」と真顔で一声かけてくれて(私「あ、ハブア、グッデイ…」)、ぞろぞろと飛行機を降りる。

まあ1週間しか離れていないので、大した郷愁もない。しかし迎えにきてくれたママの姿が見えて、ハグしたときはめっちゃ嬉しかった。

いつでもgood to be home、私はママという帰る場所があるから旅をできる。

ママはダイキスイサンでお寿司を食べさせてくれた😊大阪はうだるように暑く、日差しに焼かれる。ベトナムよりも体感暑い。私の夏はこれかあ、と思う。あたたかなフォーなんてすすれるわけがない灼熱の夏。

 

 

さあ!今回も楽しい旅だった。

また感じたことのまとめを投稿してこの旅を締めることにする!

 

 

2024.07.26 ホーチミン-ベトナム❷

 

 

つづき!

 

服屋さんについたけど、開店はまだ少し先。入り口の警備員のおっちゃんが、早く開けれるか店員さんに訊いてくれたけど、無理やった。「そんなんいいのに!待ちますよお!」が おっちゃんに伝わればいいのに。

斜向かいに、銀行があった。ATMもある。VISAカードベトナムドンの引出しを試みた。しかし、手数料が明記されておらず、銀行に訊けとのことだったため、銀行の内部へ。

入ろうとすると、警備員さん2人がかりで止められた。なにかを言ってる。ID?と思い、パスポートを見せた。すると坊主のいかつい警備員さんは頷き、通してくれた。もう1人は、まだ退かず、帽子を指差した。脱ぐ仕草。ああ!と思い帽子を脱いだ。

え 個人的なルール?それ?

なんでやろか、と思いながらも帽子を脱ぐデメリットはないので、銀行を出るまで脱いだままでいた。

神聖な場所かどうかは抜きにして、やっぱりベトナムの銀行ってガード固い!

銀行員さんは英語を話さないながらも、Google翻訳で会話して、パソコンでその銀行における手数料を調べてくれた。5%って言われた。VISAの手数料って感じの言い方(Google翻訳の出方)やったけど、結局よくわからんかった。

そんでATMに戻って、手数料に「承諾」を押したら、エラーが出て「このカードではむりです」みたいに言われた。なんでやねん。

警備員さんは、ずっと私の様子を見ていたようで、「むりやったんか?」的なことを話しかけてくれた。私は口角を下げて首を振った。彼は笑っていた。

そんで何店舗か服屋さんを回ったけど、べつに価格安くないしかといってめっちゃかわいい!て服はなかったので何も買わなかった。

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開店時間を過ぎたのでさっきの服屋さんに戻ると、パラソルの下で さっきの警備員のおっちゃんがご飯を食べてた。
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途中で少し入った路地に、綺麗なグラフィティがあった。
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この辺りで 白人の旦那さんとベトナム人の奥さんの家族を見かけた。旅行を通してその組み合わせは2,3組見たけど、彼らはめーっちゃ目立った。逆は一度たりとも見なかったので、みんなどっかの駐在員でこの土地の人と恋をして、住んでしまうことを決めたりした人たちなのかなあと思った。なんにしろ英断だ。

フードツアーで喋ったオーストラリア人の男性が、「アジアは、あんまりにも違う。まったく違うから、セイフゾーンを飛び出すのに勇気がいるよ」と言っていた。想像できる。日本人の私が飛び越える敷居よりも、はるかに高いそれを欧米人は越えなければいけないだろう。

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この国は魅力的だ。年中暑くて、湿った国で、落ちる恋はどんなだろうか。すこし気怠いかもしれない。落ちるのにエネルギーが多大に必要なことは必至だろう。しかし維持させるのは案外、氷をいれたタイガービールのように気安いかもしれない。

 

お手洗いに行きたくなって、トイレ借りるぞと決心して訪れた服屋さんが、不運にもドキンだった。土足禁止の服屋ってなんやねん。

それなのにお手洗いのタイルの床が濡れているし、なんか便座もびしょびしょやし、足元どうやったってすぐそこの排水溝で、〇〇〇〇が死んでいたので「南無三!😖」だった。さすがにふだん使わない除菌シートで便座を拭いた。

ベトナム(や一部の東南アジアの国)では、洋式トイレの隣にトイレシャワーがついていて、ウォシュレットとして使えるらしい。細い蛇腹のホースが壁から出ていて、ひねりがついてるノズルが壁にかけられている。こいつのせいで、たまにトイレがびしゃびしゃなのだ。ふざけんな。サービスエリアのトイレぜんぶピカピカの国から来てんねんぞ。対応できるわけないやろ。

私は心に傷を負い、服を見るのもそこそこにその店を退散した。サンダルを履く前に裸足の足裏を入り口の段差で擦った。トイレ貸してくれてありがとうございました。

 

少し大通りに出ると、MIUMIUも売っていた。

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3,000円以上もするMIUMIUだったので、買うのは やめておいた。

 

大通りに向けて歩いていると、ほんとうに何かわからないお店にとてもたくさんの人が集まっていて怖かった。

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なんかすごくピンクでガーリーなのがよけいに恐怖をかきたてた。

またGrabに乗って、14,560ドン(≒89円)でホテル方面へ。

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私は、物事のコツを掴むのが早いので、ドライバーさんに密着してしまわず、肩も持たずに乗る方法をもうマスターしています。

途中で、観光市場の近くを通ったので、そこで降ろしてもらった。ドライバーの肩を叩いて、ここ、ここ、おっけー、とすると降ろしてくれた。

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市場に、いい感じの長袖はなかった。テロテロしたパジャマとか、日本のキャラもののパジャマとか、グッチとかコーチとかベルサーチとかが売ってた。市場の人たちは、胡散臭い挨拶(東南アジアの市場と聞いて思い浮かべる日中韓国語の呼びかけ文句)などは誰もせず、穏やかに営業していた。べつにじゃあ観光客相手にわーっとなる感じじゃないんや。じゅうぶん今の経営で成り立ってるってことやもんね、みんな余裕があるってことは。

ベトナムから帰国して、そういえば あれ? と思ったのは貧富の差の見えなさだった。みんなめちゃくちゃお金持ちって感じじゃないけど、みんなふつうにお金を持ってる感じ。路上生活者は私が見た範囲ではひとりもいなかった。ガツガツした商売の仕方をしている人もいなかった。ハノイの道端で胡散臭い布を売るおじさんでさえ、一度きっぱり断ると引き下がった。そういえば戦争証跡博物館ハノイ戦争博物館かで、「東南アジア初の農業立国として……」みたいな文章を見た気がする。今調べると、自給率は100%を超えるという。車はベトナム車が少しと日韓の外車が主流で、加工食品も日韓のものが多くスーパーに並ぶ。水洗系のメーカーはTOTOもよく見た、エアコンは絶対日本製じゃなかったけど、けっこう外国のものが街中に溢れているので、輸入はたくさんしてるのだろう。ということは国力が強いのか……? なにより国民の間に顕著な飢えがなさそうやし、日本やアメリカみたいに低所得者がたちまちビタミンミネラル不足に陥ることはなさそうだ。

アパレル売り場、布売り場、寝具系ファブリックエリアの向こうは食品の市場だった。こんなに街中でも市民の台所の中心はスーパーマーケットではない。

しょうじきうっかり憧れてしまう。お魚はお魚屋さんから、お肉はお肉屋さんから、お米をお米屋さんで、お野菜を八百屋さんで、買えるようなお買い物なら毎日楽しいに決まってる。何を買おうか迷っていたら、勝手に「夏がくるからハモがいいよ」とか「水茄子のいいのが入ったよ」とかアドバイスされるのだ。「そうかもうそんな季節ですね」とかお客は言って。そしてお米屋さんは私の好みの銘柄を覚えてくれていて、顔を見るだけでいつもの量を計りに載せてくれる。そんなふうなら、みんながそんなふうなら、みんなが主役のお買い物な感じがするけど。どうだろうね、スマホ見ながら音楽聴きながらじゃできない買い物はもう日本では再興しないねきっと。

市場から出て、歩いてホテルに向かった。もう空港に行く時間が迫ってる。

近くのミニストップで最後のお買い物をした。

これは小さな柑橘の入ったジュース。いつも街中で同じのを売ってる屋台を見るんやけど、ジュース系をお外で買う勇気がなくて買わなかった。なのでミニストップにあってよかった。ジュースだけで売っていて、レジで氷をたくさん入れてくれる。

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暑い国の飲み物にこれこそが相応しいという味だった。

他によくわからんパンや、スナックを買った。56,200ドン(≒344円)、コンビニで好きなもん買ってこの金額嬉しすぎて、日本のコンビニで買い物できないかも。それはまあ私がいま無職だからだな。インカムがないので、金銭感覚が完全に自分基準なんだ。

ホテルでシャワーを浴びたり着替えたりして、チェックアウトをした。10kgくらいあるバックパックをまた背負う。

私は自分を厳密に言うとバックパッカーではないと思う。ガチの人はたぶん、1泊500円くらいのドミトリーに泊まり、水シャワーを浴びるだろうから。ベトナムで1泊5,000円は贅沢旅行だ。ではなぜバックパックを背負うのかというと、キャリーケースって馬鹿に見えるからだ。ごろごろ音を立ててアスファルトを大移動するのってあんまりにも滑稽で好きじゃない。友達やママとの旅行のときは、それより優先したい利便性があるからぜんぜん使うねんけど、ひとりのときはバックパックで動く。そのほうがなんか危険な目にも遭いにくそうで、お金持ってなさそうに見えるし。

 

さあピンク教会も見納めだ。
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かなりかわいい。開いてる時間に通らなかったから、中は見られなかったけど、内装も綺麗なんかなあ。

 

最寄りのバス停で、微妙に壊れてるスクリーンを見ながら最後のバスを待つ。

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他にも待ってる人がいたので、「152のバスってもうくるよね?」と訊くと、男の人は「もう数分で来るよ」と答えてくれた。

5分後、その人のバスの方が早く来て、男の人は「152ももうくるからね!」と言いながら乗り込んでいった。優しい人だ。

少し待ったらバスが来て、
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5,000ドン(≒31円)支払って乗った。
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集金係がおっさんで、私にベトナム語でなにか喋りかけ、他の乗客が笑ったので「は?何笑ってんの?」と英語で言ったけども伝わらなかった。乗客は私に目を合わせなかったので いいことを言ってるわけではなさそうやったけど、アホとか死ねとか言われてるわけでもなさそうやった。からギリギリ嫌な気持ちにならずに済みました。

バスは、空港が終着駅みたいだった。降りるときには、おっさんは国際線に乗るのにどっちに向かうか教えてくれたりもした。乗客は空港で働く人だったようで、私が地図を見ているとその人も教えてくれた。

私もぜんぜん、英語で外国の人と喋りながら日本語で内輪の話をして笑うことがあるから、必ずしも彼らが嫌なことを言ってるとは思わないけど、その経験がなければ悪口言われてると思ったやろな。

言語というのは難しい。日本語が第一言語である人にとって、日本語を学習中の外国人はたどたどしく話し、可愛らしいという印象さえ抱かせるだろう。しかし日本語では常に言葉足らずな彼らも、自らの第一言語では私たちとまったく同じ範囲で思考と表現をしている。だから常に外国人というのは、話せる量よりもはるかに多く考えている。それはでも見えないからこそ難しいね。

 

そして空港!はあ!むかつく!!

フォーを食べようと思ったら4万ドン(2000円超え)、バインミーでさえ2万ドンとかする。アホか!なんでどのお店も満員やねん?こいつら揃いも揃ってアホなんか!!!なんで空港の外の10倍すんねん!ぼったくりにもほどがあるやろ!!!

お腹ぺこぺこやけど、何も食べないことにした。したけども、私の乗ろうとしている便に遅れが出ているのを発見した。

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予定では、

16:20 ホーチミン出発

✈️

19:25 クアラルンプール到着

6時間半のレイオーバー

1:55 クアラルンプール出発

✈️

9:35 大阪到着

だった。

レイオーバーが長いので、ホーチミンを出発する飛行機がいくら遅くなろうと大丈夫なのだ。クアラルンプールはマレーシアの首都で、ホーチミンより1時間進んでいる。

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でも、ベトナムは日本との時差2時間なのに、なんでマレーシアは1時間なんだ…………?ベトナムの方が日本に近いのに…………………?世界………🫨

 

出国審査の列………!けっきょく、1時間以上並んだ。

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しかも、1時間並んでさああと数人で自分の番!てときに、後ろからわらわらと団体が進んでくる。何事かと思えば、チケットを見せながら「最終搭乗時間を過ぎてしまってるんです、順番を譲ってください」と言っている。みんな快諾する。一様に1時間並んで疲れているはずなのに……。

オッケーと言ったのに後悔するほどいっぱいいた。7人くらい。それぞれ、別の列に分散している。中規模のツアーか。韓国人のようなので、「けんちゃなよ😌(大丈夫だよ)」と言ったら喜んでいた。

ふと、気になったので前の女性に「飛行機まだちゃんとおるの?」と話しかけたら、英語はわからないようだった。それを見た先頭の男性が、私のパスポートを見て「日本人ですか!」と日本語で話す。「そうです😊」と日本語を話す人との遭遇が嬉しくて笑顔になった。

「1人ですか?」と訊かれ、「そうです!みなさんは、お友達ですか?」と答える。すると男性はニヤリと笑って「教会の仲間です」と言った。あの、韓国人男性にちょくちょく見る無表情ベースの笑顔ってちょっとユーモラスでおもしろい。あれは絶対韓国人男性にしかない表情だと思う。アイコンタクトは離さずに低い声さえ出して笑うあれ、思い出すだけで楽しい気持ちになってきた……。

「教会ですか」と答えながら、そうか韓国ってキリスト教徒多いもんなあと思う。「ベトナムにもいっぱい、教会ありますもんね」と付け足した。

すると男性は、またニヤリと笑って「でも、秘密です、えっと………イリーガル。」違法が日本語で出てこなかったらしく、英語で言う。「え?イリーガル?チャーチが?」私も英語混じりに言うと、女性がその男性になにか鋭く言った。男性は小さな声になり、しーっと口元に指を当てて「そう、だから誰にも言わないでください」とまた半笑い。「はい、アイ ドント テル えにばでぃ」となぜか英語になる私。

意味がわからんまま、男性の出国審査の番が来て、話が終わった。

え?みんなで教会に礼拝するのが違法?どういうこと?

今、インターネットでなんとなく調べてみると、「なぜ入国時にreligon(宗教)の欄があるのか」という質問がヒットした。たしかに、私も入国のときどこかでその質問があり、何も考えずに"none"と答えたような気がする。その質問に対するインターネットの人の答えは、「ベトナムには元々の宗教から改宗させるような動きを禁じる法律があって、一部の宗教を信仰している者は入ることができないっぽい」みたいな感じだった。

そうか、ベトナム政府は、信教の自由を認めてないんだ。宗教的な活動をベトナム国内ですることを禁じているらしい。だから、ニヒルな笑みの彼は、イリーガルと笑ったんだ。

数日越しにわかった。穏やかに見えた国の雰囲気は、独裁政党による様々な統制のもとで成り立っているんだ。

そうなると、ハイフォンからホーチミンへのフライトを思い出す。ほぼ100%ベトナム人の乗客、彼らの手にはしばしば身分証明書の他になにかの書類が握られていた。立派な質の紙に、模造禁止の細工のような豪華な装飾と印字。フライトの料金は日本円にして2万円ほどで、ベトナムの基準からしたらきっととても高いので、この人たちはひょっとして何かに選ばれたとかで特別なクーポンを持っているのかなと思ったものだ。実際どうなのかはわかんないから適当なこと言えへんけど。

なんかでもまあイリーガルな巡礼を終えて韓国人たちは無事出国できたみたいだった。危険を犯してまで礼拝にくるなんて、ベトナムって宗教的にも魅力的な街なんや。宗教のことになると、神道という自然宗教的なもののふわっとした信教スタンスの国の人間としては、たちまち他人事感が増す。他人事やけどタブーは好きやから、めっちゃ興味湧くけど!

 

フライトはまた少し遅れて、待ちは2時間くらいになった。暇すぎるしお腹すいた。お水も保安検査場通ったから持ってない。

こりもせずお店を覗くと、ゲート内のお店は、アメリカドル表記になっていた………。バーガーキング………10ドル…………………いやまあフェア………やろうけど………アメリカにおるわけでもないのに………10ドルは嫌だ……。

そしてバインミーらしきものを出してるお店の前を通ると、価格は1つ5ドル。他のお店よりは安かった。

店員さんはフレンドリーに「Are you from Korea?」と訊いてくる。もうその質問に疲れた私は「Do I look like? All the people say I look Korean but I'm actually Japanese.」と半笑いで早口に言ってしまった。店員さん、引いてた。だって私が韓国人に間違えられることもほんとは日本人なことも彼には関係ないもの。イライラしてすみませんでした……。

そして購入。日本円でも支払いオーケーで、750円だと言う……………

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😡😡😡😡😡😡😡

ベトナムドンでは117,000ドン(≒712円)、街で買う5倍以上ってなんかほんまに腑に落ちひん!

しかもはらぺこで食べたら、めちゃくちゃお肉から八角の匂いがして、具は主にネギで、美味しかったけどこれバインミーじゃないじゃんかああ😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡と思った。

 

ここで出てくる疑問が、人々はこれでオーケーなのかということだ。

私は空港のクレイジーな物価を知る前、航空会社のカウンターで職員の人に、「空港に美味しいフォー屋さんとかある?」と訊いた。職員の人はぎこちなく笑って「セキュリティーゲート内に入ったら、上の階にレストランがたくさんありますよ」と答えた。欲しい答えぜんぜんそれじゃないわ、と思ってたけど、そらそうや。職員の人が空港で食事するわけない。アホらしすぎるもん。

でもオーケーな顔で食事する外国人たち。疑問としては、「街中でもこの価格帯で食事していたのか?」というもの。「それとも空港やから仕方ないと割り切っているのか?」うーん?それならどこのレストランもほぼ満員なのはおかしいけどな……。

しかし観光中を思い出すと、街中の光景が答えなのか。私が行ったほとんどの食堂はベトナム価格で、外国人見なかったもんな。

 

そしてさらに悪いことに、クアラルンプールから大阪への便が遅延していた。4時間くらい。出発は、朝の5時過ぎだ。

あーーーーーーーーーん😭と思いながら、クアラルンプール空港でのレイオーバーの過ごし方を調べる。ベンチや床で寝る人も多いと書いてあった。しかし2つのサイトで、7時間以上のレイオーバーならセキュリティゲート内のカプセルホテルか予算があるなら もう少し高い個室のホテルに泊まるのを勧めると書いてあった。

どうしようかなと考えていたら、喉がからからになって、お店を覗くと500mlのお水が4ドル(≒620円)で売られていた。しばくぞ👍喉乾いたまま出国したるわ。

 

搭乗直前でゲートは変更になり、大勢でわらわらと移動して、ようやく乗り込んだ。

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広告募集の案内がこんなふうにそこかしこに貼られてたけど、そんなに集まってないんか?

飛行機では爆睡した。子どもの泣き声が聞こえたような気がしたけど、眠っていたので大丈夫だった。人は、どんなものであれその環境にいずれ慣れるのだ。

 

 

 

 

次はクアラルンプール国際空港編!でようやくの帰国だ!!!

 

2024.07.26 ホーチミン-ベトナム❶

 

 

しんちゃおしんちゃお〜!

今日は、最終日!名残惜しすぎる………。でも、まだまだおりたい!って駄々こねる気持ちはなくて、でもまたぜったい来る、と思ってる。なぜって、疲れた!!!!!

思うのが、都市間を移動するような旅行するなら、中日を作らないといかんなということ。なーんにもしない日を。だって旅行中、思ったより脳みそって回転してる。なんでもなく歩くときだって、たとえば歩きにくい道、車道に降りるか?水たまりを飛び越えるか?そんなことにだって少し神経を使って、車道に降りるとき後ろから来るバイクに気をつけて振り返る一瞬の「うし!」や、水たまりを飛び越える一瞬の「そいや!」が積み重なる。無意識に疲れているので、思いっきり休んでやらないと休まらんらしい、神経が。

さて最終日なので早起き、6時……が無理で………6時半……眠くて………6時45分に起床。歯を磨く。綺麗なホテルなんやけど、少しの時間を空けてルームを覗くと必ず5〜10匹の羽虫が死んでいる。どこから来て、そしてどうして死ぬのだろう。どこから来たかよりも、どうして死ぬかのほうが気になる。

 

鏡を見る。旅行初日には、日本にいるときと変わらないメイクをしてたけど、日を追うごとに薄くなった。なんかメイクが濃いと不自然に見えるからだ。そもそも馴染んでないんやけど、もっと浮いてる場違いな存在になるような。自分が主張すべきでないのに、スポットライトを盛んに自分に当てようとする矛盾が浮き彫りになるからかな。

旅をするとき、主役は誰だと思う?感じる私の主体はつねに大事だけど、その場所を台無しにしてしまうような個人ってしばしば他人に不快感を与えないかな。まあ、異物感でガン見されながら歩いてるんやけどさ。

 

7時過ぎにホテルを出た。ベトナムに旅行してたら、6時から動き出して普通って感じだ。社会が動き出すのが早い。逆に静寂が欲しいなら、4時くらいから動き出すしかないだろう。

 

さて、もうキャッシュがない。2万と7,500ドン(≒164円)しかない。空港へはバスで行くつもりなので、運賃の5,000ドン(≒30円)は残しておかないといけない。

2万ドン(≒121円)で買える朝ごはんを探すか、カードの使えるお店で朝ごはんを食べるか。

とりあえず歩き出す。ホテルの前のかわいい色🩵💛の建物も、このお花も見納めかあ。

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空を見てると、白い鳩が2羽、どこかから飛んできて電柱に止まった。なんか縁起いい。

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ホーチミンの人たちは、超犬派。猫を見かけることは少なかった。ハノイでは、どっちもいたけど。

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私は筋金入りの犬派やから、ベトナムの人とは気が合いそう。

犬は顔の種類にかかわらず胴長短足

 

朝7時半の通勤ラッシュ。

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そしてそれを待ち構えるように、道端に出てるおばちゃんのバインミー屋さん。
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少し裏道に入ると、退屈な都会の景色の裂け目に、ローカルがある。

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そして、家庭的なエリアに、いえーい!

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なけなし、20,000ドン(≒121円)のバインミー

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てきぱきした若い女性が、ふたつ隣の同じ名前のカフェに案内してくれた。経営が同じらしかった。カフェの前には立派なエスプレッソマシンがあった。席に着いた私に、笑顔でお茶も出してくれた。

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甘いんかな?と構えて飲んだら、薄い中国茶みたいで飲みやすく、おいしかった。

次々やってくるおじさんカスタマーたち、みなコーヒーとバインミーを注文している。にもかかわらずみんなにお茶を出していた。

女性は、軒先に出したエスプレッソマシンでコーヒーをつくったり、客と話したり、バインミー屋さんの おばあちゃんを急かしたり、きらきらしながらてきぱき働いていた。たぶんこの地域のアイドルだ。彼女とおばあちゃんのやり取りを聞いて、おじさんたちが笑う。

そういえば ここのバインミーはめちゃくちゃ辛かった。ホーチミンで他に食べてないからわかんないけど、地域性ではないんかな?

 

今さらながらバインミーの魅力は、まずぱりぱりのフランスパン。どのお店もまるまるした明るいひなたの色のパンを店頭に並べているけど、どこかにそれ専用に売るお店があるんだろうか。パンばかりをいっぱいにビニール袋に詰めてお店に帰ってくるバイクを見たことがあるけど。

そして中身。数種類のお肉やパテ、しゃきしゃきした生野菜、酢漬けの野菜のアクセント、香菜の香り。いろんな味、食感が一度に して、否応なく満足してしまう。

齧った後で申し訳ないけど、齧ってからしか見えない隠れたところに、具がたくさん入ってるのは、形骸的で見た目さえ"美味しそう"なら よいとされる日本の食の一部の流れとは真逆。

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いろんなものが入ってるからこそ、作り手のおばちゃんの技術が必要なんやろうな。ぜんぶをまとめ上げるおばちゃんのサンド技術が。

 

腹ごしらえが済み、まだ8時。かねてから飛行機に乗るとき寒かったので、長袖の服を買いたい。それで、ホテルを出る時に受付の人に訊いていた。

「観光客ばっかの市場には行きたくなくて、ローカルの人、あなたが普段買い物するお店でフーディーみたいな服が買いたいんやけど、どこかおすすめはある?」

質問もウザいし、指定も多い客である。

すると受付の女性は、「ん〜、私たちは普段お店で服を買わないの」と衝撃の事実を口にした。「ぜんぶ、この日用品とかのサイトで買うの」と。それは記憶が正しければ、きのうNhiがコーヒーの値段を調べてくれたアプリと同じに見えた。黄色いアプリ。

受付の女性は回答に困っていて、急がせるのも申し訳なくなったので、「ごめんけどじゃあ、もし調べがついたら(?)WhatsAppに送ってくれる?」と言ってホテルを出たのだった。それでべつに連絡をくれなくてもいいかなと思った。

 

けど、バインミーを食べ終わってからスマホを見るとちゃんと連絡が来ていた。市の中心地から川を渡った東側、歩くと今いる場所から1時間くらいかかる場所にそのお店はあるという。幸いにも、バインミーを食べるため、市の北部、観光の中心地から離れ始めていたので、ちょうどいいし歩くことにした。

橋に近づいて、あることを思いついた。

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そうか、街が都会すぎておもしろくなかったけど、簡単だ、川を渡ればいいんだった。

どんな都市も、大きな川に隣接している。というより、川のあるところに文明、文化が生まれるのだ。川がすべてを運び、水がすべてを穣らせるから。そしてときどき、とくに発展途上国では、川を境にがらっと雰囲気が変わる。だから川の近くが危ない地域になることもあるんだろうけど。

私はなぜかこれを知っていた。なんで知ってたんやろう。前世は旅人やったんかなあ。

橋の上ではパイナップルやココナツが売られている。

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てか渡り始める前にバイクのおっちゃんが橋のたもとで立ちションしてるの見て「おいおい」と思った。「川がすぐそばにあるんやから水辺に降りたらいいんちゃうん」と。それもあんまり行儀のいい考えではないけど。田舎で親戚がため池にトイレしてたのを思い出して……。

 

橋を渡り終えると、期待通り、背の低い建物、ごみごみした道路、軒先に出る人たち、さまざまなものの専門店。雰囲気ががらっと変わる。交通量は市の中心地となんら変わりなくクレイジーなのに、街が取り繕っていない。

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商店が建物同士に隙間なんて空けずに並ぶ、バイクのサドルだけを売るお店、鍵をつくるお店、ナットのお店、バイク修理のお店、配線のお店……合間に、ベーカリーやご飯屋さんが挟まっていて、やはり朝から大盛況だ。

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犬がはみ出している商店の前に行く

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と、予想外にたくさんで幸せな気持ち なた🐕❣️

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1匹はみ出してて危なかったので、私はなんとなく「車道に出たらあかんよ」とひらひら手を動かしたのだが、おばちゃんが出てきて手招きするだけでその犬は戻って行った。私が笑うとおばちゃんも笑って、隣のお店のおばちゃんも笑ってた。

 

私は、アジアンスマイルについてこの旅を通してずっと考えていたが、ホーチミンの観光地の外に出てきて、やっぱりもっと考えた。アジアンスマイルってなんなんやろう。向けられるとどうして心を少し破られるみたいな気持ちになるんだろう。

 

 

大都会のなかではふつうの外国人も、このエリアにくる人は少ないらしい。ハノイやハイフォンで歩くときみたいに、奇特なものを見る目で見られた。

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電気系のお店から、見たことない鶏が出てきたのでびっくりして言葉を失った。

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見た目は完全に成鳥やのに、大きさがめちゃくちゃ小さい!!!ちょっとこわい!!!
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しかも店内にいっぱいおる!!!!

世界には自分の知らないことがまだまだたくさんあって、イキらずに済むので助かる。私が知ってることなんてまだまだ一部だ。未知に触れるたびもっともっと知りたいと思う。

 

トイレに行きたくなったので、カフェへ。もうお金がないから確実にカードの使えそうなところ。

ハノイでもお世話になったTHE COFFEE HOUSEがふと現れたので飛び込む。

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そんでハイフォンとホーチミンにてちょくちょく見かけるこれ

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長細いやつちょっと気になる。バインミー、クエ、って書いてる。麩みたいでいまいち食欲がわかないので手をつけてないけど。そして今回も辞退。

 

ハノイのザコーヒーハウスはベトナム語のシティポップみたいな心地いいBGMが鳴っててよかったけど、ここは無音。ベトナムの人って音楽嫌いか??

"Sua"がコンデンスミルク入りだとホテル近くのコーヒーショップのお兄さんに習ったので、「ベトナムコーヒー、スア、ください!」と注文した。

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いつでも美味しいベトナムコーヒー 39,000ドン(≒237円)。カードで買ったから、手数料5%くらい上乗せされてるんかな。

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広場には、大きな教会が建っている。仏教の国というイメージが強いし、宗教的に閉鎖的なんだろうと思っていて、立派な教会があるのが不思議だった。でも、フランスの植民地だったんだから、教会があるのは当たり前かあ〜と思い直した。地域の人たちの信仰はどうなんだろう?お寺に通う人は見れど、教会に通う人はついぞ見なかったな。曜日や時間の関係かな?

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教会の前でも商店。Grabの年季が入ったパラソルがあったので、おもしろいなと思った。

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宣伝のためにGrabがパラソルを無料配布したなら、ベトナムのことわかりすぎやなって。でも雨の多い国のピックアップスポットとしてサービス開始時に設置したのが流用されてるのかもしれない。どっちにしろ、Grabはシンガポールの会社だという。東南アジアでやる商売として最高にセンスがある。

 

 

さっきまでメカニカルな商店ばっかりだったのが、だんだんと食べ物のお店が多くなる。

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お豆腐がわりと売られてた!

魚介類や肉類、野菜類入り乱れ。エリアは生活の延長線上に、自然と市場になる。

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お魚はスーパー新鮮、生きたまま盥でびちびち跳ねている。カエルを盛んに食べる地域なようで、皮を剥ぐ前のも剥いだ後のもたくさんあった。ハノイの市場にはなかったな。鰻みたいなぬめぬめした長いお魚があって、こわごわ眺めてたらお店の男の人が笑ってた。タニシみたいのが盥から1匹脱走してた。傷つかないように1匹ずつ布で縛られた蟹。海老の頭を落としていくおじさん。塩漬けにするんだろうか。

お肉も新鮮そうやけど、木の机にそのまま精肉されたものがどんと置いてあって、お客さんも素手で触ってる。豚肉のどっしりした塊が並ぶ。鶏は、皮を剥いでまるままが綺麗にされて置かれている。豚を解体してぜんぶ売ってるお店があった。原型の残る顔、洗われた内臓が白く輝いていた。

リアカーに積まれたにんにくは一粒一粒使いやすいように量り売りされてた。見たことある玉ねぎや見たことない野菜が入り乱れている。電車に乗ってると、田んぼは見かけたけど畑って見なかったな。少し遠くからきてるんだろうか。

こう書いてみて、気づくのが、全てが地産地消でしかありえないってことだ。新鮮でどこから来たのかクリアな食材を、いっぱいの香菜で食べるんだからそりゃ、ベトナムの人は朝から元気なはずだ。市場がお店をやってる人専用じゃなくて、みんながあふれて元気な街の、住人は元気に決まってる。

 

なんか変な癖があって、私は市場を見ると泣いてしまう。そこに確実にある生活のことを考えると、鼻の奥がつんとなる。それぞれの生活。ぜったいに私が生きることのない生活。積み重ねられた文化、習慣、歴史の結果として歩き笑い話す人々。この景色だ、この景色、匂い、喧騒。これを見るために旅をすると言っても過言ではない。そう思うともうつんと泣ける。素晴らしいものの結晶に思いを馳せて。

さいきん美味しいものを食べたらなによりappreciation(感謝?傾倒?)を感じるのもこのせいかもしれない。

 

 

市場の先に、公園があった。外の喧騒が嘘のように静かでのんびりしている。

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奥に、お寺の入り口があるのが見えた。ベトナムでは、短パンだとお寺や廟に入れない。公園は入っていいかな、と、掃き掃除をしているおじさんに話しかけた。

「でぃす、しょーと、アラウンド、おっけい?」なんとか身振りで伝えると、くるくる、オッケー、お寺、ダメ、と身振りで伝えてくれた。整備された公園を歩く。

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おじいさんが、英語で話しかけてきた。

「どこのひと?」「日本です」「私ね、86歳」と、帽子を脱いで白髪を見せてくれる。「ええ!若く見えますね」「そう、そう」「80代には見えないな」「私、英語少し喋れる」「うん、少しでもめっちゃいいですね」と、喋っていた、ら、途中でふらーっとどこかに行った。

たしかに英語を話す、観光業でないベトナム人は珍しいように感じる。なにか 英語と関わる機会があったに違いない。80代なら、第二次大戦の終わり、フランス・日本からの独立やベトナム戦争まるまる経験してることになる。もう少し話せればよかったけど、占領してた側の国の人が、されてた側の国の人と戦時のことを話すのはあまりに難易度が高い。

 

公園の奥のお寺は、私の好きなものぜんぶが詰め込まれていた。

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鳳凰、龍、モザイクタイル、お花のモチーフ、屋根の派手な装飾、ぜんぶど真ん中すぎてまた泣いた。

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1937年、第二次大戦よりも前からある!!?ベトナム共和国の首都で戦火をまぬかれて残ってくれてありがとう。
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「くう、かっこよすぎる」「やばい、好きすぎる」と言いながら周りをぐるぐる回って写真を撮った。

地元の若者もカメラを持ってやってきていたので、有名なのかもしれない。

行脚の果てにこんなリワードが待ってたなんてと思うと、すごく嬉しくなった。

 

 

関係ないけど、一晩明けて考えると、昨日の日本語喋るおっちゃんは、極悪人ではなかったのかも。ただの少し小遣い稼ぎ程度の人のいいおっちゃんやったんかも、と思った。だってずっと人のいい顔で笑って、頑なに もうついていかない という私に、残念そうに握手して、ばいばいした後も道路から笑顔で手を振ってはった。あんなに過剰に反応することなかったな。あそこで引き上げたのは正しい判断だったとは思うけど、そんなに嫌な経験てわけでもないっぽい。

 

 

お寺の公園から少し歩くと、また味気ない都会になった。空港への道に出たのかな?

なのでGrabでバイタクを呼び、ホテルの人に教えてもらった洋服屋さんまでひとっとびした。

Grabは、クレジットカードを登録できるので、支払い方法をカードに設定しておくと ほんまに乗り込んで降りるだけになる。現金持ってたらそれで払った方が、カード会社から手数料取られない分安いけど。

総合病院みたいな施設や、政府系の施設が並び、その間にお昼ご飯を出すお店がぽつぽつあってみんなご飯を食べてる大通り。

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これ、ホーチミンで遭遇頻度高かった看板。f:id:nico-fuumi:20240729034142j:image

歯が真っ白で男前の人が広告塔。アイドルとかかなあ?

どうでもいいけど、帽子被りながらバイタクのヘルメット被るからこれ。

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間違ってるよな?間違ってるよって言ってくれる人1人もおらんかったけど。

バイクは大通りを巧みにじぐざぐ滑走する。また街並みが変わって、雑居ビルが立ち並ぶ通りへ。だいたいが2階までに店舗が入り、2〜3階以上は人んち。うわあ、どんな生活なんだろう。電車の車窓から、1階に住む人たちの部屋は盗みみたけど。祭壇があり、テレビがあって、ちゃぶ台があり風通しがよさそうだった。

マンションとかアパートってそこはかとなく都会の匂いのする言葉に感じる。ときどき、2階のバルコニーに放り出された脚が見えるけど。トイレとかどうなってんのかな。ドアはどんなふうについているのかな。階数の違う人とも知り合いなのかな、きっとそうだろう。隣に住む人の顔さえ知らないなんて不自然、起こり得ないほど密着した近所付き合いに決まってる。

 

バイタクに乗ってると、目や鼻が痛んだ。今日はベトナムに来て初めて、1滴も雨の降らない日。毎日、夕方になるとぱらぱら雨が降ったので、大気に散らばる汚染物質が地面に落ちて流されてたのかな。雨が降らないと、てきめん痛む呼吸器に、大気汚染の深刻さを知る。

 

ふと後部座席から後ろを振り返ると、

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Awwwwww🥺❣️

トイプーちゃん、めちゃくちゃ行儀良くお姉さんの脚の間に収まってる。スマホ指して、ワンちゃん指して、👍?てして眉毛上げてお姉さん見たら、うんうんと頷いてくれたので撮った。信号待ちでのひととき。

 

 

とても長くなっているから いったん分ける!

 

 

2024.07.25 ホーチミン-ベトナム ❷

 

 

 

戦争証跡博物館。まさに、ベトナム戦争が「あった」証を残す博物館だった。

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入場料は40,000ドン(≒240円)とリーズナブルなものの、オーディオガイドは80,000ドン(≒481円)と少しお高め。まだむしゃくしゃしてる私は、展示を見始めたときは「オーディオガイドなんて😡要らんかったんちゃうん😡説明読んだらええんやから😡和訳ってだけやろ?😡もう😡」と思ってたけど、ぜったい借りてよかったし、お高めじゃなかった。fareやった。自分の真に理解できる言語で生々しく描写される戦争の状況もそうやし、展示板には書いてないことも喋ってくれてた。

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辛くて見れなかった展示の分も、椅子に座ってガイドを再生することで辿れた。

 

もう私は、小説を読んでいて二度と「ベトコン ベトミン 意味」と調べないだろう。意味が頭に完全に入った。

衝撃的な写真が生々しく飾られていた。博物館は、ジャーナリストのおかげで後世に史実を残せている、というスタンスを強くとっていた。ジャーナリストを戦争のメインの登場人物のひとつとして捉えていたイメージだった。

展示は、武器などのレプリカが3割、写真が7割の印象。驚いたのが、途中で写真の説明に日本語が併記されだして、見ると日本人ジャーナリストの作品群だったからだ。村上龍が小説の中でベトナム戦争に取り憑かれた写真家を登場させていたけど、まさにその時代だ。

ママが生まれ、幼少期を日本で過ごしていた時代に、まだベトナム戦争が行われていたこと。私が生まれ、小学生のときにもまだ枯葉剤についての問題が続いていたこと。今も続いていること。私たちと同じ時代に起きていた物事なのだと思うと恐ろしかった。

ハノイ戦争博物館は、ホーチミン氏による日本・フランスの支配からのベトナム奪還が中心の内容だったが、ホーチミンではベトナム戦争におけるアメリカの非情な仕打ちにフォーカスが当たっていた。それもそのはずというか、皆さん知っての通りベトナム戦争は北部(共産主義ベトナム解放軍・ベトミン)VS南部(アメリカ民主主義率いるベトナム共和国)の構図だったのだが、特に現ホーチミン市のある南部では北ベトナムのベトコン(南ベトナム解放民族戦線)のゲリラ戦に対するアメリカの攻撃が半端なかったのだ。よく聞く枯葉剤での攻撃は、ジュネーブ協定で禁止されていた化学兵器を用いての卑劣な攻撃として名高いが、ゲリラを駆逐するための作戦だった。だから、アメリカVSベトコンの主な戦場は南部だったんだな。

そのなかでベトコンを送り出す港のあるハイフォン、解放軍の中心地ハノイも凄まじい爆撃を受けたという。実際に訪れた土地が焼け野原になっている写真は、こたえた。

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もう、インパクトがコウカテキメンの、アメリカ兵が北ベトナム兵の死骸をぶらんと手にぶら下げている写真や、いたぶられた非武装の市民の写真がばんばん展示されている。アメリカ兵がどれだけ理由なく残忍だったかを語るジャーナリストのコラムもそれに合わせて記されていた。

 

博物館の展示はその半分を枯葉剤の影響を語るのに割いていた。

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人間がたくさんいるところに、森をこんなにしてしまう毒物を、アメリカは撒いたのだ。

有名な、身体が繋がって生まれた双子、ベトちゃんドクちゃんの写真展示もあったし、数人分の目や鼻、口が1人の頭についてしまって生まれてきた子の写真や、頭が肥大した子ども、胴が長過ぎて脚がほとんどない女性や、奇形で死産になってしまった胎児らの「ガラスの墓」の写真もあった。私は途中で心持ちが悪くなって展示室から廊下に出てきてしまった。どうしようもない苦しさ。救いがないとはまさにこのことだった。被害者たちの写真を撮る側の気持ちと、障害を持ち写真を撮られる被害者側の心情は計り知れない。しかし撮る側も撮られる側も、「私(この人)は存在した!!」と、まさに証明するためにそのときその場に踏ん張っていて、何十年の時を経て惨事を、その存在を、アメリカ政府にだって否定できない事実を、伝えている。

 

そして、こう考えるのは意味がないことにしても、「日本の軍隊が直接的にベトナム戦争に関わらなくてよかった」と思った。アメリカの同盟国である韓国やオーストラリア、ニュージーランドなどの兵士たちも戦闘に参加していたから。

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「自分と同じ顔の人が加害者として写真に写ってなくてよかった」と思ってしまった。被害に遭った人の、死や痛みや喪失には変わりないのに、自分勝手だ。

ベトナム戦争は、恐ろしすぎる。意味がわからない。そして日本本土では戦闘が行われていない。それは他の国と、私たちを大きく分ける事実だと思った。空襲ではなく、地上戦の惨さというのは、あまりに生身で、残虐で、敵兵士個人個人や集団の怖さというより、人間そのものの恐ろしさを感じるものだと思った。

よく、「酒が人をダメにするんじゃなく人が元々ダメなのだ」なんて冗談みたいな言葉を聞く。酒飲みとしては、でもまあ言い得て妙かな〜と思う。だって私は、べろべろに酩酊した度重なる日々、一度も貴重品を失くしたことがない。 記憶は無くしているというのに、鍵もスマホもお財布も、100%収まった鞄が玄関に放り出されている。ある意味でめちゃくちゃダメな姿になって人に迷惑をかけているのに、貴重品は失くさない、理性がどこかにあるのにダメになっている。ということは、酒という媒体が人間をダメにするのではなく、人間が元々ダメであることが酒というアイテムを媒介することによって露見する、ということが言えるんじゃないか。理性を少し取り除き、剥き出しの部分を増やすことで人間の本来の姿が垣間見えるんではないかというアイデア。では同じように、「武器が人を残虐にするんじゃなく人が元々残虐なのだ」も言えてしまうんではないかと少し思った。アメリカが銃社会なのは、民主主義との釣り合いを保つためだと聞いたことがある。公的権力だけが銃を持つと社会のバランスが崩れるのだそうだ(民間が銃を持つことを盾にして罪のない人を殺す公的権力はたくさん見るけどなあ)。男は銃を持って、銃を持つことそのものに力付けられて戦う。戦争博物館に行く前から触れてきたPTSDアメリカのベテランたちがいるという事実。彼らは、異常な状況で残虐な行為をして、結果精神に異常をきたした。彼らにとってはどちらの方がいいんだろう?武器によって自分たちが残虐になったという考え方か、もともと人間が残虐なものであるという考え方か。

しかし誰もが「もっと力を持っていたら」と思う瞬間があるんじゃないか?じっさいにその力を持つことが可能になってしまったとき、言葉の通じない、"発展"がまだ"不十分"であると見なした国の、自分より身体の小さな農民を、いたぶることに快感を覚えるなんて、気が狂ってて気色悪くて最悪で人間のできる所業ではないし許されるわけがなくて地獄に堕ちたらいい、けど、理解できないほどあり得ないわけじゃないと思う。人間という生き物にプログラムされている"攻撃性"みたいなものは無視できないんじゃないかな。だからこそ文化的になる必要があり、文化を維持して社会を運営するには本能的な部分を巧みに隠すしかないんじゃないか。

 

少し前まで、アメリカはキューバにしてきたみたいに、ベトナムにも経済制裁を加えていたという。しかしファシズム民族浄化という凄惨な史実を生んだように、デモクラシーが枯葉剤の使用という結果を生んだんじゃないか。民主主義で社会主義を潰そうとするなんてなんかあんまり正解な感じしないな。というか今まさに欧米の民主主義がつくったイスラエルという国が民族浄化してるじゃないか。

 

展示では、アメリカがいかにお金と戦力をかけてベトナム戦争に臨んだかが、第二次世界大戦朝鮮戦争と比較してグラフにされていた。客観的に見て、異常な熱の入れ方だった。

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それなのに何故負けたのか? 理由は書かれていなかった。でも、「民主主義のために」というふわっとした国民感情でもなんでもない理由で戦う兵士より、「国の解放のため」「自分たちの生活のため」戦う兵士のほうが強いんじゃないかなと思った。「このまま身も心も支配され縛りつけられるなら、身も心も手放すことになってしまっても戦わないといけない」という旨の誰かの宣言が残っていた。戦う理由があるに決まってる。

日本人のジャーナリストが、現代に残った塹壕の跡で、笑顔で記念写真を撮る欧米人の写真を指して、「平和な時代になったと嬉しくなる」と書いていた。なんかめちゃくちゃぐぐぐときてしまって少し泣いた。実際に今日、枯葉剤による遺伝子異常の子どもたちの写真の前で、ピースサインで記念撮影するアジア人の女の人がいた。実際に今日、アメリカ軍の戦車の前で親指を立てて記念撮影をする白人英語話者の家族がいた。これは、これは、もうベトナム戦争が切実な物事ではなくなったということだ。遠いんだ。遠いから彼らは笑えるんだ。

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私はまっっっっっっっっっっっったく笑えなかったけど。アウシュビッツで両手を広げて記念撮影する女の子だってそりゃおるわなと思った。そりゃおるわな。うん。

 

少し逸れるが、印象的だったのが、枯葉剤の影響で遺伝子異常が起きた男の子をおっかけた写真のシリーズ。男の子は小さいときから脳性麻痺などで歩くことも困難だった。きょうだいに支えられてやっと立っているのが写真に写されていた。その人が、大人になっても立ち上がれないままで破顔する写真と共に、結婚して子どもを授かっているという文が添えてあり、彼の子どもにも枯葉剤の影響で遺伝子異常が起きていると書いてあるのだった。脳性麻痺でどうやって結婚するに至ったんだろう……。

 

 

 

 

敢えて、私は写真を載せたり感じたことの描写をすることに対して、注意喚起しなかった。「過激な内容だから戦争が苦手な人は見ないでね」と書こうかなとも思ったけど。

でも、うーん、3Dのゲームで人を殺す描写が過激で避けるべきなのと、戦争という史実そのものの刺激はまったく違う。と思った。

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アメリ防衛省の人の言葉、

「私たちは間違っていた、大いに間違っていたと言えど

私たちには後の世代に、なぜこのようなことが起きたのか、説明する義務がある。」

あああかんかった、あの時の俺たちなんてことしたんや、忘れてしまおう葬ってしまおう、間違いだったんだから、おかしくなってただけなんだから。

なんて、通用させないでおこうという言葉。

重くて当たり前だ。戦争の話なんだから。笑って旅の記念に写真を撮るような場所じゃない。

博物館には白人が多くて、オーディオガイドをつけない英語話者もその半分くらいいた。すれ違った人は鎮痛な面持ちをしていた。加害者側の写真が、他人事ではないからだろう。

逆にインド系や、展示写真の前で記念撮影してた東か東南アジア系、晩ごはんや集合場所の話をしてた日本人の10代の女の子たち、動画を回しながらするする展示を回って行った東アジアの女性、彼らの方が表情に深みはなかった。他人事だからだろう。彼らの顔は写真には写っていないから。キリスト教の国の人たちの残虐な笑みしかそこには写っていないから。

どう感じるかを強制することはできない。ナチス党員ぜんいんがヒトラーを敬愛していたわけじゃないように、他人の感受性や信条を操作することは不可能だ。

でもだからといって正しさが存在しないというわけではないと思う。あの空間では、鎮痛な面持ちでベンチに座ったり展示された写真の説明書きに黙って首を振ったり、ショックを受けていた欧米人たちが正しかった。

 

共感能力は、想像力に依るものだ。想像力は、知識の量に裏付けされると思う。教育とエクストラ、勉強できる環境にあるかが必然的に関わってくる。

じゃあたんじゅんに、共感能力が高いのは教育水準の高い国になってくるんじゃないかなあ。

私たちの国はどうなんだろうね。「勉強=偉い、崇高」になってしまってない?他人を慮ることをやめた烏合の衆は、果たして先進国なのだろうか?

 

 

 

博物館を出て、放心状態で歩いた。

力の出るものを食べないとなあ、と漠然と考え、ベトナム料理を、なんとなく、避けたかった。

ママが「ベトナムで食べたインドカレーがおいしかったよ」と教えてくれていたので、それにしようと思った。

道には大木が生えている。

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樹齢何年くらいの樹々なんだろう。50年くらい前、戦争の後に植えられたのかな。

爆撃されたハノイの街は、今の状態になるまでどのくらいの時間がかかったんだろうか。街に対する破壊力だけでいうと、原子爆弾数個分の威力で、めちゃくちゃにされたらしい。

アメリカ政府は、自国の兵士が起こした枯葉剤の影響についての裁判には否を認め、多額の慰謝料を出して示談にした。しかし、ベトナム人たちが続けて立ち上がると「枯葉剤による被害はなかった」と一転して主張したという。今はもう認めてるらしいけど。

静かな怒りが人を動かす、と村上龍は書いていた。爆発的な怒りは持続しないから。怒りをふつふつと常に腑に煮えさせて、活動したベトナム人がいたんだ。そしてそれを助けたアメリカ人も。怒り続けることや憎み続けることは体力がいるのを私は知ってる。許さないことには許すことの何倍も体力がいるのだ。

道行くベトナム人たちの、家族や親戚にも被害者がいるんだろうか。街で2度見た、脚や腕のない人も、そうなんだろうか。ふらふら歩く。

着いた、インド料理レストラン。
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なんか値段高いけど、他を考える気力もなく、入った。

ラッシー、プレーンを頼んだらベトナムの生活の風味だけがついた、ヨーグルトの水割りが出てきた。
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私の飲む姿を観察していたインド人のスタッフと、目が合い、「甘くない!」と言う。「インドでプレーンラッシーはお塩もお砂糖も入れないってことだよ」と教えてくれて、お砂糖を入れてくれた。

チーズナンと
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チキンティッカカリー。
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パクチーソース。
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カレーは新鮮なスパイスがたくさん使われてて、お肉がごろごろ入ってて食べ応えがあってとても美味しかった。日本から、よりもベトナムからの方がインド近いもんな。濃厚な味、久しぶりな感じがして嬉しかった。

けど、食べてる間 ちょっと苦しくなった。写真がグロかったとかフラッシュバックしてとか、そういう鮮やかな理由ではなく、深いところで精神的にダメージを受けたんやろうなと他人事みたいに思った。

でも、まあ、スパイスを摂ると元気が出た。しんどいときにはカレー、それはいつでもそう。

帰りはバイタクで帰ることにした。ハイフォンでホテルに送ってもらったのと、不本意な500mに次いで、オフィシャルには初めてのバイタクだ。

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ふつうに怖くて、小柄なお兄さんの肩を握りしめてしまった。落ち着いてから周りを見たら、お金払って乗ってる人たち誰もドライバーに密着してなくて、お兄さんに申し訳ないな……と思った。
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しかし、夜のベトナムを滑走するのは気分がよかった。
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排気ガスと喧騒。お兄さんは巧みに歩道に乗り上げたり車道に戻ったりする(あんまりよくない)。しかし一度もクラクションを鳴らさない、優良ドライバーだった。
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Grabのお兄さんにお金を払うと、残金がとても怪しくなってきた。コーヒーも飲まずにホテルに帰って、もう大人しくした。

 

明日はベトナム最終日だ……。

 

 

そうそう、戦争証跡博物館に入っていっぱつめ、アメリカの戦車が展示されていた。

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戦闘機の窓と、戦車の双眼鏡が、ナウシカのオウムと、ラピュタの機械兵みたいだなと思った。宮崎駿によって、戦争の記憶は知らないうちに散りばめられていた私たちの脳みそ。