朝食バイキングをつけていないのでシャキッとせずに少し気だるい朝。
昨日、これからの計画を立てていて とりあえず4月7日の月曜日までは秋田にいることにしていた。
いろいろ考えたけど。ほんとは本州最北端をなんとなく目指した旅だったから、青森に行こうかなとか。宮城をちょっとかじってみようかなとか。
東北は、小学校の林間学校で行ったきりだった。そのときは主に岩手県、あと秋田駒ケ岳を登山したり。だからつまり他は未踏の地。山形なんて通過しちゃったしなあ。
でも、あちこち行くのは諦めた。なにしろ秋田がでかすぎる。近畿の縮尺で考えてたら破滅だ。北の果て、スケールがまったく違う。秋田をうろうろする距離のなかで、近畿やったら和歌山の上の方から奈良、大阪、京都、滋賀や神戸まで行ける。この広さには参った。
それで、ホテルの居心地がよかったので延泊。昨晩申し出てネットから予約もしたのに、なぜか延泊当日のチェックアウト予定だった朝10時にフロントに来てくださいと言われ、そうした。9時半に起きて。全身を引きずるように。
起きてしまったのは仕方ないのでお散歩。ホテルの目の前にある路地。
写ってないけど入り口には素敵な看板があった。ハンフリーボガートの言葉らしい「世の中の問題は、みんな飲み足りていないことだ。」という格言とともに「酒場、開いてます。」とあった。駅からかなり離れてるけど、酒場が開いてるのはいいことですね。
駅の近くに公営市場があるようなので、そこを目指すことにする。
道は広い。薄い鱗雲のかかる青空。歩くとあったかい。
セブンイレブンとダイソーと業務スーパーに囲まれて、あった秋田市民市場。
んめ〜さげっこ、いいなあ。
東北の人の、名詞に「っこ」をつけるのって、大阪の人がなににでも「ちゃん」をつける感覚と似てんのかな? 東北の人は飴ちゃんのこと飴っこって言う??
時間が10時半と中途半端で、お寿司屋さんもやってないし、朝ごはんをしっかり食べたい気分。
市場の定食屋さんに行った。
まんま
おしながきを持ってきてくれたおばちゃんに、
「地のものってなんかありますか?」と訊いた。魚市場もあることだし、なんかあるやろと思って。とうぜん市場で食事するなら、それって醍醐味というか大前提やと思っていた。そしたら、
「地のものはね、今はないんですよ」との予想外の答え。「あ……え……」と口をぱくぱくしてしまった。そうか、ないか。春やのに。ないのか。そか。
まあいいわと赤魚の煮付け定食を頼んだ。赤魚ってなにのさかな??
これはとても美味しかった。なにがってお米が。赤魚も身がぎゅっとしてて濃い味で食べ応えがあったけど、なによりお米。どこで食べても美味しいんかい、とつっこみを入れてしまった。
まあそれはそうなんだろう。まずいお米を調達することのほうが難しいだろうな。ふつうに生きててこのクオリティ以下のお米を口にすること自体がないんやろう。
店員さん達が興味深かった。ピンク髪の二十歳くらいの女の子店員さん以外は全員おばちゃんとおばあちゃん、5、6人いる。延々と喋ってる。そして一人称は「おら」。ほんまに おら なんや! と、感嘆するとともにずいぶん遠くまで来たものだなと思う。
喋ってるだけのおばちゃんと、喋りながら手を動かしてるおばちゃんがいて、この人たちの役割分担って内訳どんなん? よく見たら奥の方に、ひとつも存在を主張せず働いてるおじちゃんがおった。お昼のピークを迎える前の束の間のひとときなのか、働いてない女性たちはみな、手に手にマグカップ。
ふと、市場の人らしきおじちゃんが来店する。すると、「あら〇〇さん〜!!」とおばちゃんたち全員から歓声が上がる。つと、これも常連らしきおじちゃんが席を立つ。すると「××さん、コーヒーもうはいるから飲んで行って!」とお会計時に声がかかる。ランチタイムには無料らしいコーヒーを、常連にだけは朝から出すらしい(私には当然なかった)。
ああそっかと思った。おばちゃん達がかしましいことが大事なのだ。男女の役割が何よりも意味を持つ、お年寄りのコミュニティのなかで、店員が女の人であることが大事なのだと。朝から開いてるスナック、……とまではいかないにしても。なんにしても「女性がいると場が華やぐ」社会なのだ。
お店を出て、魚市場を少し冷やかす。市場に入っているお寿司屋さんは開店前、まだ11時にもなっていない。しかし、兆候はあったものの体調があまりよくない。
市場のすぐそばのキムチ屋さん。
「朝鮮会館」にひっついてるのがおもしろい。近くには焼肉屋さんも2軒ほどあった。プチコリアタウン。
さいきんNHKで「ウリ(私たちの)ハッキョ(学校)」と呼ばれる朝鮮学校についての特集を見た。大阪の生野区にある朝鮮学校が閉校する過程に密着したものだった。番組のなかで、朝鮮学校の卒業生やPTA、周りに住む在日の人々はなにかと校庭に集って焼肉をしていた。学校の給食は、ボランティアの「オンマ」達がチャプチェなどを作っていた。まさに「私たちの」学校をコミュニティが支え、その中心にあるのが同胞意識、同郷であるという仲間意識、世代を重ねて同じ遺伝子を持つというプライド、のように見えた。
食事はほとんど文化と同義語なほど、各国・各地域を表す。食事がそのまま体をつくり、それぞれの体臭や気性にまで影響する。食べ物がそのひとの人格形成に与える影響というのは、遺伝子くらいおっきいんじゃないだろうか。
市場の周りを少し回ると、スナックなどの飲み屋がぎゅっと入った建物。
失礼ながら一瞬(一瞬だよ)もう営業していないのかと思った。それで少し通路に
入ったのだが、なんというかすごく人の気配、現役な匂いがする。それですごすごと退散した。
所狭しと並ぶ店名は、部外者を許さない。ひどく個人的だ。同時にぜんぶ営業しているわけではなかろうが、営業する日はすべてのお店のカウンターの向こうに年配の女性や男性が立っているのだろう。私がおじさんだったなら、ぴったり閉じた異国の(言葉の違うここはもう異国だ)扉をぐっと開けられるんだろうか?
男なら行けたのになあと思う場所はたくさんある。こういう飲み屋、治安の整わない第三世界、新地やお姉さんのいる盛り場、夜なかの散歩道……。でもきっと20代女性であるから馴染める場所や行けるところがあるんだろう。たぶん。
本格的にしんどくなってきたので、ホテルに戻る。道の途中でいい感じのカフェや
いい感じのラブホテルをそぞろ見る。
「デジャヴ〜」。いやいいの? デジャヴって既視感て意味やんね? しかも夢の中みたいに未経験のはずやのに襲われる既視感的な意味じゃない? だめじゃん。あなたとの前に別の人と一回来てるやん。
そして帰ってお布団に入り、点けたテレビで
クマから身を守る方法を学ぶ欧米人。
本を読み、少し寝て、DAZNの初月無料に誘われて登録し、野球を観て、阪神がDeNAに負けて、お風呂に入って眠った。
去年のまったく今頃も、地元より寒い地、アメリカはシアトルにてひとりきりで身体を壊した。ホテルで丸一日寝て、配達のベトナム料理に助けられた。熱々のフォーを食べながら「アジア人でよかった」と感じたものだ。タコスやハンバーガーでは体調不良は治らない、と。
常日頃から思うが、アジア人の食に対する執着は異常なところがある。だからコリアタウンがチャイナタウンが、あらゆる国にあるんだろう。
もっと美味しいものを食べるためにお昼から休んだのは英断だった。また明日から元気にでっかい秋田を歩くぞ、と強く心に決めたのだった。