旅にグレイハウンド

西海岸をグレイハウンドで行く

2024.07.25 ホーチミン-ベトナム ❷

 

 

 

戦争証跡博物館。まさに、ベトナム戦争が「あった」証を残す博物館だった。

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入場料は40,000ドン(≒240円)とリーズナブルなものの、オーディオガイドは80,000ドン(≒481円)と少しお高め。まだむしゃくしゃしてる私は、展示を見始めたときは「オーディオガイドなんて😡要らんかったんちゃうん😡説明読んだらええんやから😡和訳ってだけやろ?😡もう😡」と思ってたけど、ぜったい借りてよかったし、お高めじゃなかった。fareやった。自分の真に理解できる言語で生々しく描写される戦争の状況もそうやし、展示板には書いてないことも喋ってくれてた。

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辛くて見れなかった展示の分も、椅子に座ってガイドを再生することで辿れた。

 

もう私は、小説を読んでいて二度と「ベトコン ベトミン 意味」と調べないだろう。意味が頭に完全に入った。

衝撃的な写真が生々しく飾られていた。博物館は、ジャーナリストのおかげで後世に史実を残せている、というスタンスを強くとっていた。ジャーナリストを戦争のメインの登場人物のひとつとして捉えていたイメージだった。

展示は、武器などのレプリカが3割、写真が7割の印象。驚いたのが、途中で写真の説明に日本語が併記されだして、見ると日本人ジャーナリストの作品群だったからだ。村上龍が小説の中でベトナム戦争に取り憑かれた写真家を登場させていたけど、まさにその時代だ。

ママが生まれ、幼少期を日本で過ごしていた時代に、まだベトナム戦争が行われていたこと。私が生まれ、小学生のときにもまだ枯葉剤についての問題が続いていたこと。今も続いていること。私たちと同じ時代に起きていた物事なのだと思うと恐ろしかった。

ハノイ戦争博物館は、ホーチミン氏による日本・フランスの支配からのベトナム奪還が中心の内容だったが、ホーチミンではベトナム戦争におけるアメリカの非情な仕打ちにフォーカスが当たっていた。それもそのはずというか、皆さん知っての通りベトナム戦争は北部(共産主義ベトナム解放軍・ベトミン)VS南部(アメリカ民主主義率いるベトナム共和国)の構図だったのだが、特に現ホーチミン市のある南部では北ベトナムのベトコン(南ベトナム解放民族戦線)のゲリラ戦に対するアメリカの攻撃が半端なかったのだ。よく聞く枯葉剤での攻撃は、ジュネーブ協定で禁止されていた化学兵器を用いての卑劣な攻撃として名高いが、ゲリラを駆逐するための作戦だった。だから、アメリカVSベトコンの主な戦場は南部だったんだな。

そのなかでベトコンを送り出す港のあるハイフォン、解放軍の中心地ハノイも凄まじい爆撃を受けたという。実際に訪れた土地が焼け野原になっている写真は、こたえた。

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もう、インパクトがコウカテキメンの、アメリカ兵が北ベトナム兵の死骸をぶらんと手にぶら下げている写真や、いたぶられた非武装の市民の写真がばんばん展示されている。アメリカ兵がどれだけ理由なく残忍だったかを語るジャーナリストのコラムもそれに合わせて記されていた。

 

博物館の展示はその半分を枯葉剤の影響を語るのに割いていた。

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人間がたくさんいるところに、森をこんなにしてしまう毒物を、アメリカは撒いたのだ。

有名な、身体が繋がって生まれた双子、ベトちゃんドクちゃんの写真展示もあったし、数人分の目や鼻、口が1人の頭についてしまって生まれてきた子の写真や、頭が肥大した子ども、胴が長過ぎて脚がほとんどない女性や、奇形で死産になってしまった胎児らの「ガラスの墓」の写真もあった。私は途中で心持ちが悪くなって展示室から廊下に出てきてしまった。どうしようもない苦しさ。救いがないとはまさにこのことだった。被害者たちの写真を撮る側の気持ちと、障害を持ち写真を撮られる被害者側の心情は計り知れない。しかし撮る側も撮られる側も、「私(この人)は存在した!!」と、まさに証明するためにそのときその場に踏ん張っていて、何十年の時を経て惨事を、その存在を、アメリカ政府にだって否定できない事実を、伝えている。

 

そして、こう考えるのは意味がないことにしても、「日本の軍隊が直接的にベトナム戦争に関わらなくてよかった」と思った。アメリカの同盟国である韓国やオーストラリア、ニュージーランドなどの兵士たちも戦闘に参加していたから。

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「自分と同じ顔の人が加害者として写真に写ってなくてよかった」と思ってしまった。被害に遭った人の、死や痛みや喪失には変わりないのに、自分勝手だ。

ベトナム戦争は、恐ろしすぎる。意味がわからない。そして日本本土では戦闘が行われていない。それは他の国と、私たちを大きく分ける事実だと思った。空襲ではなく、地上戦の惨さというのは、あまりに生身で、残虐で、敵兵士個人個人や集団の怖さというより、人間そのものの恐ろしさを感じるものだと思った。

よく、「酒が人をダメにするんじゃなく人が元々ダメなのだ」なんて冗談みたいな言葉を聞く。酒飲みとしては、でもまあ言い得て妙かな〜と思う。だって私は、べろべろに酩酊した度重なる日々、一度も貴重品を失くしたことがない。 記憶は無くしているというのに、鍵もスマホもお財布も、100%収まった鞄が玄関に放り出されている。ある意味でめちゃくちゃダメな姿になって人に迷惑をかけているのに、貴重品は失くさない、理性がどこかにあるのにダメになっている。ということは、酒という媒体が人間をダメにするのではなく、人間が元々ダメであることが酒というアイテムを媒介することによって露見する、ということが言えるんじゃないか。理性を少し取り除き、剥き出しの部分を増やすことで人間の本来の姿が垣間見えるんではないかというアイデア。では同じように、「武器が人を残虐にするんじゃなく人が元々残虐なのだ」も言えてしまうんではないかと少し思った。アメリカが銃社会なのは、民主主義との釣り合いを保つためだと聞いたことがある。公的権力だけが銃を持つと社会のバランスが崩れるのだそうだ(民間が銃を持つことを盾にして罪のない人を殺す公的権力はたくさん見るけどなあ)。男は銃を持って、銃を持つことそのものに力付けられて戦う。戦争博物館に行く前から触れてきたPTSDアメリカのベテランたちがいるという事実。彼らは、異常な状況で残虐な行為をして、結果精神に異常をきたした。彼らにとってはどちらの方がいいんだろう?武器によって自分たちが残虐になったという考え方か、もともと人間が残虐なものであるという考え方か。

しかし誰もが「もっと力を持っていたら」と思う瞬間があるんじゃないか?じっさいにその力を持つことが可能になってしまったとき、言葉の通じない、"発展"がまだ"不十分"であると見なした国の、自分より身体の小さな農民を、いたぶることに快感を覚えるなんて、気が狂ってて気色悪くて最悪で人間のできる所業ではないし許されるわけがなくて地獄に堕ちたらいい、けど、理解できないほどあり得ないわけじゃないと思う。人間という生き物にプログラムされている"攻撃性"みたいなものは無視できないんじゃないかな。だからこそ文化的になる必要があり、文化を維持して社会を運営するには本能的な部分を巧みに隠すしかないんじゃないか。

 

少し前まで、アメリカはキューバにしてきたみたいに、ベトナムにも経済制裁を加えていたという。しかしファシズム民族浄化という凄惨な史実を生んだように、デモクラシーが枯葉剤の使用という結果を生んだんじゃないか。民主主義で社会主義を潰そうとするなんてなんかあんまり正解な感じしないな。というか今まさに欧米の民主主義がつくったイスラエルという国が民族浄化してるじゃないか。

 

展示では、アメリカがいかにお金と戦力をかけてベトナム戦争に臨んだかが、第二次世界大戦朝鮮戦争と比較してグラフにされていた。客観的に見て、異常な熱の入れ方だった。

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それなのに何故負けたのか? 理由は書かれていなかった。でも、「民主主義のために」というふわっとした国民感情でもなんでもない理由で戦う兵士より、「国の解放のため」「自分たちの生活のため」戦う兵士のほうが強いんじゃないかなと思った。「このまま身も心も支配され縛りつけられるなら、身も心も手放すことになってしまっても戦わないといけない」という旨の誰かの宣言が残っていた。戦う理由があるに決まってる。

日本人のジャーナリストが、現代に残った塹壕の跡で、笑顔で記念写真を撮る欧米人の写真を指して、「平和な時代になったと嬉しくなる」と書いていた。なんかめちゃくちゃぐぐぐときてしまって少し泣いた。実際に今日、枯葉剤による遺伝子異常の子どもたちの写真の前で、ピースサインで記念撮影するアジア人の女の人がいた。実際に今日、アメリカ軍の戦車の前で親指を立てて記念撮影をする白人英語話者の家族がいた。これは、これは、もうベトナム戦争が切実な物事ではなくなったということだ。遠いんだ。遠いから彼らは笑えるんだ。

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私はまっっっっっっっっっっっったく笑えなかったけど。アウシュビッツで両手を広げて記念撮影する女の子だってそりゃおるわなと思った。そりゃおるわな。うん。

 

少し逸れるが、印象的だったのが、枯葉剤の影響で遺伝子異常が起きた男の子をおっかけた写真のシリーズ。男の子は小さいときから脳性麻痺などで歩くことも困難だった。きょうだいに支えられてやっと立っているのが写真に写されていた。その人が、大人になっても立ち上がれないままで破顔する写真と共に、結婚して子どもを授かっているという文が添えてあり、彼の子どもにも枯葉剤の影響で遺伝子異常が起きていると書いてあるのだった。脳性麻痺でどうやって結婚するに至ったんだろう……。

 

 

 

 

敢えて、私は写真を載せたり感じたことの描写をすることに対して、注意喚起しなかった。「過激な内容だから戦争が苦手な人は見ないでね」と書こうかなとも思ったけど。

でも、うーん、3Dのゲームで人を殺す描写が過激で避けるべきなのと、戦争という史実そのものの刺激はまったく違う。と思った。

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アメリ防衛省の人の言葉、

「私たちは間違っていた、大いに間違っていたと言えど

私たちには後の世代に、なぜこのようなことが起きたのか、説明する義務がある。」

あああかんかった、あの時の俺たちなんてことしたんや、忘れてしまおう葬ってしまおう、間違いだったんだから、おかしくなってただけなんだから。

なんて、通用させないでおこうという言葉。

重くて当たり前だ。戦争の話なんだから。笑って旅の記念に写真を撮るような場所じゃない。

博物館には白人が多くて、オーディオガイドをつけない英語話者もその半分くらいいた。すれ違った人は鎮痛な面持ちをしていた。加害者側の写真が、他人事ではないからだろう。

逆にインド系や、展示写真の前で記念撮影してた東か東南アジア系、晩ごはんや集合場所の話をしてた日本人の10代の女の子たち、動画を回しながらするする展示を回って行った東アジアの女性、彼らの方が表情に深みはなかった。他人事だからだろう。彼らの顔は写真には写っていないから。キリスト教の国の人たちの残虐な笑みしかそこには写っていないから。

どう感じるかを強制することはできない。ナチス党員ぜんいんがヒトラーを敬愛していたわけじゃないように、他人の感受性や信条を操作することは不可能だ。

でもだからといって正しさが存在しないというわけではないと思う。あの空間では、鎮痛な面持ちでベンチに座ったり展示された写真の説明書きに黙って首を振ったり、ショックを受けていた欧米人たちが正しかった。

 

共感能力は、想像力に依るものだ。想像力は、知識の量に裏付けされると思う。教育とエクストラ、勉強できる環境にあるかが必然的に関わってくる。

じゃあたんじゅんに、共感能力が高いのは教育水準の高い国になってくるんじゃないかなあ。

私たちの国はどうなんだろうね。「勉強=偉い、崇高」になってしまってない?他人を慮ることをやめた烏合の衆は、果たして先進国なのだろうか?

 

 

 

博物館を出て、放心状態で歩いた。

力の出るものを食べないとなあ、と漠然と考え、ベトナム料理を、なんとなく、避けたかった。

ママが「ベトナムで食べたインドカレーがおいしかったよ」と教えてくれていたので、それにしようと思った。

道には大木が生えている。

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樹齢何年くらいの樹々なんだろう。50年くらい前、戦争の後に植えられたのかな。

爆撃されたハノイの街は、今の状態になるまでどのくらいの時間がかかったんだろうか。街に対する破壊力だけでいうと、原子爆弾数個分の威力で、めちゃくちゃにされたらしい。

アメリカ政府は、自国の兵士が起こした枯葉剤の影響についての裁判には否を認め、多額の慰謝料を出して示談にした。しかし、ベトナム人たちが続けて立ち上がると「枯葉剤による被害はなかった」と一転して主張したという。今はもう認めてるらしいけど。

静かな怒りが人を動かす、と村上龍は書いていた。爆発的な怒りは持続しないから。怒りをふつふつと常に腑に煮えさせて、活動したベトナム人がいたんだ。そしてそれを助けたアメリカ人も。怒り続けることや憎み続けることは体力がいるのを私は知ってる。許さないことには許すことの何倍も体力がいるのだ。

道行くベトナム人たちの、家族や親戚にも被害者がいるんだろうか。街で2度見た、脚や腕のない人も、そうなんだろうか。ふらふら歩く。

着いた、インド料理レストラン。
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なんか値段高いけど、他を考える気力もなく、入った。

ラッシー、プレーンを頼んだらベトナムの生活の風味だけがついた、ヨーグルトの水割りが出てきた。
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私の飲む姿を観察していたインド人のスタッフと、目が合い、「甘くない!」と言う。「インドでプレーンラッシーはお塩もお砂糖も入れないってことだよ」と教えてくれて、お砂糖を入れてくれた。

チーズナンと
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チキンティッカカリー。
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パクチーソース。
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カレーは新鮮なスパイスがたくさん使われてて、お肉がごろごろ入ってて食べ応えがあってとても美味しかった。日本から、よりもベトナムからの方がインド近いもんな。濃厚な味、久しぶりな感じがして嬉しかった。

けど、食べてる間 ちょっと苦しくなった。写真がグロかったとかフラッシュバックしてとか、そういう鮮やかな理由ではなく、深いところで精神的にダメージを受けたんやろうなと他人事みたいに思った。

でも、まあ、スパイスを摂ると元気が出た。しんどいときにはカレー、それはいつでもそう。

帰りはバイタクで帰ることにした。ハイフォンでホテルに送ってもらったのと、不本意な500mに次いで、オフィシャルには初めてのバイタクだ。

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ふつうに怖くて、小柄なお兄さんの肩を握りしめてしまった。落ち着いてから周りを見たら、お金払って乗ってる人たち誰もドライバーに密着してなくて、お兄さんに申し訳ないな……と思った。
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しかし、夜のベトナムを滑走するのは気分がよかった。
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排気ガスと喧騒。お兄さんは巧みに歩道に乗り上げたり車道に戻ったりする(あんまりよくない)。しかし一度もクラクションを鳴らさない、優良ドライバーだった。
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Grabのお兄さんにお金を払うと、残金がとても怪しくなってきた。コーヒーも飲まずにホテルに帰って、もう大人しくした。

 

明日はベトナム最終日だ……。

 

 

そうそう、戦争証跡博物館に入っていっぱつめ、アメリカの戦車が展示されていた。

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戦闘機の窓と、戦車の双眼鏡が、ナウシカのオウムと、ラピュタの機械兵みたいだなと思った。宮崎駿によって、戦争の記憶は知らないうちに散りばめられていた私たちの脳みそ。