新年あけましておめでとうございます。
私はいま、カナダのバンクーバーに留学に来ています。
この国の年末年始は、じつに淡白なものでした。なにより、クリスマスからニューイヤーデイまでのほんの1週間に満たない数日がとても長く感じられました。
日本の年末年始といえば、12月の25日から26日に日付が変わった瞬間から、百貨店のディスプレイはクリスマスカラーを剥ぎ取り、飲み屋やホテルの入り口には門松がどこからともなく現れる、人々はさっきまでクリスマスを恋人と過ごすかそうでないか話していたのに、急に洗脳されたかのように口を揃えて帰省やおせち、お年玉について話す、そんな忙しない時期です。
半ば、自虐的に話していたのに。日本人にクリスマスのコンセプトは余計であるとか、外国の人は長期で休暇をとったりするのにとか。少し馬鹿にしていたのに。日本の年末年始を。自分で用事をつくって自分で忙しくするのが好きよね日本人って、みたいな。
蓋を開けてみれば、そんなみんなが忙しく、冬の支度をする時期だから、クリスマスもお正月も好きなんでした。チルでコンフォタブルな年末年始は間延びして、なんだかいつ年を越したのかも曖昧だ。
夜を徹して初詣に行くわけでも、みんなで紅白歌合戦を観るわけでも、年越しそばを食べるわけでもないこの雨だけが律儀に降るバンクーバーで、やることと言えばハイになることだけ。お友達と集まって、いろいろで泥酔しながら年を越したのでした。
そして、アルコールの残る頭で、1月1日、考えたのです。
これではだめだと。
最初から機嫌の悪かった年下の友達と飲みすぎて軽く口論になったのもめんどくさかったし、口論の理由である微妙な関係の男友達とのことでつねに頭は少し痛いし、なぜかメキシコ人の男の子が新年パーティーの私のお会計を持ってくれた理由も考えるべきだし、仕事は見つからへんし、家賃や生活費は馬鹿みたいに高いし、バンクーバーにいる正当性について考え始めているし、それもこれも天気がずっと悪いからかもしれないし、ダイエットはホリデイシーズンのせいでうやむやになりつつあるし、
でも、これではだめだ。
よし、初詣に行こう。
ということで、ひとりで初詣。
ほんとうは神社に行きたかったけど、残念ながらバンクーバーにはないようだ。日本の神様は日本でお参りしないとやっぱりだめなのかな……。
SGI(創価学会)のコミュニティセンターや金光教、天理教のお寺はあるのに、日本人の半分が信じているとされる神道の信仰の集まる場所がないというのは悲しい話だ。新興宗教には(聖地以外の)地域性がないため各地に支部があるのが普通だろうし、自然宗教的な神道には神様の住む場所が前提として必要で……つまり日本の土地でない場所に信仰は生まれようがないから支部みたいなものは生まれようがないのだろうけど。
神社本庁のホームページを見ると、ハワイやブラジルなど日系コミュニティの歴史が古い場所には日本人たちが有志で建てた神社があるそうだ。それらも、神社本庁自体とは関係がないらしいが。
カナダで自らを仏教徒だと名乗る日本人はよく見る。ちょっとだけ「えっそっか」と思う。
私が神道を信じていると言うことにしているからかもしれない。宗教がたとえばお墓の形に依るならば、私だって仏教徒だろう。しかし南無阿弥陀仏は唱えられないし、こないだ友達と話していて、「解脱すればみんな仏になれるということは仏教は多神教なんだよ」みたいな話をして混乱した。仏教のコンセプトはあまり身近ではない。そっかそう言われてみれば多神教か、くらいのものである。
また、常日頃言っているが結婚式は『ゴッドファーザー』式がいい。イタリアンマフィア式、ひいてはカトリック式。
しかし全般的に見ると、樹齢何百のご神木にしめ縄が巻かれているのはしっくりくるし、祟りとかあると思うし、食べ物や美しい景色にまで神様は宿ると思う、それもすべてが具体的な人型の神様という像を借りずに。漠然と神秘的で、畏怖はつねにある。その点で自分は神道を信仰していると思う。
友達は、神道とカナダの先住民の宗教には似通ったところがあり、そこが好きだと言っていた。トーテムポールを見ると、カナダの空を飛ぶ鳥、川を泳ぐ魚、森を歩く熊、海を泳ぐシャチが刻まれている。たしかに完全に土着の自然宗教という面で、日本人である自分にも受け入れやすい。そうなると、カナダに先住民の宗教を祀る神社があればいいのに。それにお参りしたいな。インターネットでは見当たらなかったが。先住民支配は各地に教会主体の学校をつくることでも進められたらしい。植民地化にともなってまず否定された現地の宗教のコミュニティセンターは今どこにあるんだろう。
でもまあ神仏混淆ということで、ていうか日本でもお寺に初詣行ってるし、コキットラム"Coquitlam"というバンクーバーの隣のそのまた隣の市にある東漸寺"Tozenji"というお寺に行きました。西山浄土宗という宗派のお寺のようでした。
ほんとうはお友達の彼氏のおうちで遊ぶ予定だったのが、お友達が風邪をひいてしまって延期に。新年一緒に飲んだ子なのだが、飲みすぎて帰ってばたんきゅーしたらしい。そのせいちゃうんかと疑っている。
例に漏れず新年もうっとうしく雨。しかも気温は3度ほどにしか上がらず、冷たい雨だ。早くも出かけたことを後悔してしまう。
それに雨が降るとバスはたいてい遅延する。雪が降ると複数本、運行停止になるらしい。こんなに気象条件が悪い街なのに、何十年もずっとこのやり方なんだからこれだけでもカナダ人の気性の穏やかさが垣間見えるというものだ。
とはいえ今日は清々しくあるべき日だ。雑念を落とすために、ひとりでコキットラムくんだりまで行くのだ。バスに乗り、スカイトレインという無人運行の電車に乗り換え、ブレイド"Braid"という駅で降りる。バンクーバー市東部にある家からは、まるまる1時間。ひとりで来た場所の遠さで言うと、今まででいちばんだ。
駅の周りにはほんとうになんにもない。高速道路が交差する。10分強、歩く。するとその間に2人も日本人とすれ違った。私はなんだか恥ずかしいようなもじもじするような気持ちになった。
線路が通っている。途方もなく長い貨物列車が走る線路だ。
こういった何気ない場所の植生が少し日本に似ているのは、バイオームが同じ「温帯雨林」に属するからだ。以前友人だった人と真田広之の「SHOGUN」を観ているとき、彼は非常に興奮していた。日本が舞台のドラマだが、撮影地がカナダだからだ。違和感なく戦国時代の日本として見ている景色に「これはめっちゃブリティッシュコロンビアだよ!」と喜んでいた。
そして、桜が見えてきた。五色幕も。なんて日本っぽい景色だろうか。
味のある字体で刻まれた石碑が、入り口にある。
この階段を登ると、公民館のような入り口があった。扉が閉まっているので、何度も戸惑ったが、中に受付のようなものがあり、係のおばちゃんが座っているのが見えたので、勇気を出して入ってみた。
日本家屋的な開かれた建物は、カナダでは適用されないのだろう。寒いし。夏も蒸し暑くないから、風通しよくしなくていいし。
受付にはおばちゃんが2人いて、大阪と和歌山の人だそう。大阪のおばちゃんはフレンドリーで話しやすかったが、和歌山のほうは「海外に長く住んでいる日本人」という感じだった。あの、つん、というか、へん、というか、鼻持ちならない感じはなんなんだろうか。排他的というか。選民思想的というか。「あなた達とは違うのよ」みたいな感じ。たとえ自分がカナダや、他の国に永住することになっても私はこんな嫌な態度はとりたくないなと思う。日本大使館や日系スーパーに行っても思う。日本食レストランでもそういう態度はまま見られる。英語で接客するときはにこにこ上機嫌という感じのくせに、日本語で話すと無愛想。日本人の日本人嫌いはなかなかときに極端だ。
ご本尊のあるエリア(間…?)に入り、お賽銭箱に25セント硬貨を入れた。これはある日家から出ると私の足元に落ちていたので、大家さんのものかしらと思ってキープしていたラッキー硬貨だ。微妙に縁起悪いかも。落ちてたからセーフかな。
なかに滑り落ちきっていない10ドル札が覗いていたけど、見ないふりをした。日本でだって千円もお賽銭せえへんもん。二重にご縁がありますように、やし。でも、ドルだからご縁じゃないのか……。
まあこういうのは気持ちです。お賽銭を入れて、お焼香をしました。初詣でお焼香するの初めて。
お香を摘んで香炉に振り入れると、初めての香りのはずなのにふしぎに安らぐいい匂いがして、煙が立ち上り、穏やかな気持ちになった。家族の健康をお願いする。
私が着いたのがちょうど狭間の時間だったみたいで、後から人が続々お参りに来た。誰もいなかったらもう少しだけ座ってたかったけど。
参拝客は、日本語を流暢に話す中国系のカップルや、日本人女性と英語話者のカップル、日本人同士のカップルや家族連れなど多様だった。行きしなにすれ違った人たちみたいに、ひとりの参拝客もいるようだったけど。
お金を両替してもらって、おみくじ3ドル。
1ドル硬貨と2ドル硬貨を穴に入れる。変な感じ。
私はいつもとうぜん大吉でしょうの気持ちでおみくじを引く。気持ちで負けたらあかんと思うから。ここ数年大吉は出ていないような気もするが。
結果は吉。
でもなんかすごくいいことが書いてあった。
今年は母国から遠く離れたこの国で、なにかあるいは誰かと強く結びつくようだ。楽しみが過ぎる。
大学の頃、ゼミの教授とした、「人生は片割れを探す旅だ」というような話を思い出す。「今まで離れ離れだったもの」がそれならいいなあ。でも、「人かもしれませんし知恵かもしれません」やしなあ。知恵やっても嬉しいな。生きる術を見つけられたらいいな。きっと、後になってからわかるのだろう。たいていのことは、後になって初めてそうだったとわかる。そのときわからなくてやきもきしても、いつかは答えのほうからやってくる。
いくらかすっきりして、お寺を出た。
元旦には、除夜の鐘が撞けたという。お友達は参加したようだ。
お寺の周りを雨のなか少し散策しようとして、やめた。なにもなかった。柊の生垣を見つけたのだけ嬉しかった。
同じ道をたどって帰る。線路に、貨物列車が通っていた。
泥のようなものが入っている、荷下ろし後の列車。村上龍『五分後の世界』で主人公が女性兵士と一緒に乗らされた列車を思い出した。戦争中で、女性の唇はひどく乾いていて、主人公はリップクリームを塗ってやるのだった。
あるいは、世界一周ブログで見たアフリカかどっかの大陸横断鉄道的ななにか。ブロガーの彼はほんとうにこんな感じの列車に乗り込み、サングラスや顔を覆う布で砂から身を守り一夜を明かしたのだ。かっこういいなあ。
そんなことを考えていると飛び降りて乗り込みたくなってしまったので、身を引いた。
帰りしな、人間を運ぶ用の電車に乗って、窓の外を眺める。同じような建物がたくさん並ぶ。
この辺りは、バンクーバーの人口が増加するのに合わせて近年急激に開発されているようだ。あんまりなんもなさそうやけど、住めばなにかしらあって面白いのだろう。
凍てつく雨の降るなか、他の場所にも寄らず、来た道をたどって電車からバスに乗り継ぎ、帰った。
久しぶりにひとりでお出かけができてよかった。ひとりでだって、車がなくたって、べつに行きたいところに行けるのだ。カナダに来てからおでかけは常に誰かと一緒に、だったけど、本来の自分に立ち戻るのも悪くない。
おみくじに書いてあることが素敵な形でほんとうになりますように。
そしてみなさまにおかれましても、素敵な一年になりますよう。
バンクーバーより愛をこめて