イタリアンタウンの、角のところのカフェに入った。
写真はないけど外観もかわいくて、ほんとにちょっとイタリア気分。店員さんはイタリア人のお姉さんだ。
「ラテください!」
「ラテね、スペシャルティかノーマルかどっちがいい?」
「スペシャルティってなに??」
「カルダモンが入ってるの!」
サウンズ ナイス!私はそれにしてもらい、さらに蜂蜜を入れてください💓と言った。凍えているから甘い飲み物がいいし、それにスパイスと蜂蜜は素晴らしく合うからだ。
「蜂蜜足りなかったら言ってね!」の言葉とともに出されたラテは超美味しかった!自分でカルダモン入れるだけでもこんなに美味しくなるのかな??
ぼーっとあったまっていると、イタリアンのおじいさんが話しかけてきた。
「この辺に住んでるの?」
「ううん、旅行、日本から」
おじいさんは日本のこと(時差、アメリカ軍の基地、都市とか)いろいろ知ってて、おじいさんがエスプレッソを注文するのを待ってる間ちょっと話した。
「英語じょうずだね、どこで習ったの?」
「バンクーバーに一年、英語勉強するために住んでたよ」
英語褒められた!嬉しい!「(日本人にしては)じょうず」という枕詞が毎回隠されているんだろうけど、それでも褒められて嬉しい。
「なんかまだ飲むかい?」と訊いてくれたけど、甘いカルダモンラテですっかり満ち足りていたので辞退した。でもありがとう!おじいさん!
帰りがけに声をかけたら「話せて楽しかったよ」と手にキスをしてくれた。イタリアやなあ〜!
そして温まった私はまた歩き出す。次の目的地へ。
また中華街を突っ切る。
新感覚BEAUTY!
中華中学校。100%中国語しか喋らない住民も多いらしい。
唐突に現れるトンネル。
恋に疲れて〜心ぼろぼろチャイナタウン〜♪
人通りが多く、安全な感じのトンネルだった。
トンネルを抜けると
もう中国語はひとつも見当たらない。
GUCCIとかBVLGARIとかモンクレールとかが並ぶ、高級ブランドストリート。
ちょくちょく街で見かける、ぷるんとしたハートマーク。
かわいい色の路面電車!
カリフォルニアってこの青色のイメージあるなあ。
夜になったらニップルが光るのかなあ。ジェントルマンのクラブ。
壁画
シビルセンター
一部だけ異様に嫌われてるガラス
あ!レインボーだ。
セイフウェイが見えたので休憩
セイフウェイは留学時代いちばん行ったスーパー!
夥しい数のトマトソース
たくさんのフルーツ!
このチーズいっぱい詰まったキノコ美味しそうすぎ
いつも買ってたパン。これこのまま冷凍庫に突っ込んどくの。そんでダイレクトにトースターへ入れる。
こっちのホットドッグバンズのときもあった。
キムチツナマヨドッグを作って周りを阿鼻叫喚させたものだ。美味しかったんやけどな。
スーパーは、このベルトコンベアに商品を自分で載せていくタイプ。ものが多いとちょっと大変。
で、なんか身体によさそうなどろどろのジュースを買って飲んだ。
たぶんビタミンはとても不足してるだろうから。
ふたたび歩く。
かわいいおうちたち。
マックスマッスル!!!!
そして目的地に着いた。
1時間まっすぐ歩いてもまだダウンタウンなの、ほんまにサンフランシスコって広いなあ〜と思う。
レインボーフラッグを頑張って撮ろうとする
けど
ぜんぜん綺麗に広がってくれない。
どこにでも虹色。
このカストロというのが、LGBTQ+の社会運動を歴史的に推し進めてきた地域の名前だ。
ハートも虹色。
で、目的はここ。
GLBT Historical Society Musium。なんであえてGを頭に持ってきてるのかは怖くて誰にもきけなかった。
サンフランシスコは、もともとは同性愛に対してなにも抵抗のない地域だったらしい。ネイティブアメリカンたちにとって、同性愛は自然の流れの一部だった、でも、ヨーロッパ的な考え方が入ってきて、禁止されていったらしい。
1800年代中盤のゴールドラッシュでは、一気に人が増えてその90%が男の人だったそうだ。みんな故郷や家族から離れて、寂しいけど好き放題していたらしい。当時の同性カップルの記念写真や異性装をして捕まった女の人の新聞記事なんかを見て不思議な気持ちになった。
あと、興味深かったのがマッチブック。日本でも昭和まではそうだったけど、お店の宣伝としてマッチを当時配っていて、それがいくつか展示されていた。お店の名前だけが書いてあるミステリアスなもの、半裸の男性が書いてあるもの、レズビアンバー〇〇と堂々書いてあるもの……。
そして、ミュージアムで言及されているゲイの活動家はほとんど、AIDSで早逝している。1980年代にHIVウイルスの存在が広く知れ渡るまで、サンフランシスコではトルコ風呂(日本で言う発展場に近いものだと思う。不特定多数と気軽に性的な関係を持てる場所)とかが大流行りしていたらしい。
どうしてゲイの人ばかりが感染するのかなってググってみたら、お尻は感染から身を守るための細胞のレイヤーが少ないというのも理由にあるみたいだ。
そして、撮った唯一の写真なのだけども、これ。
第二次世界大戦で捕虜として連れてこられた日本人なのだが、なぜか彼のコーナーがあった。
オオムラさん。彼のパスポートとか写真とかが公開されてるんやけど……。
「彼はゲイだっただろう」みたいな姿勢でぜんぶ書かれてて、とくにカミングアウトしてなにかの行動をしてたわけでもないのに、「日本から戦争の関係で来て帰化した人」という珍しい立場ってだけで展示にされている感。
え〜?私がオオムラさんやったらめっちゃ嫌かも〜!!
あと、サンフランシスコで一世を風靡したドラァグクイーンが着ていた着物(もどき)なんかも展示されていて、日本がちょくちょく登場したのがおもしろかった。
日本というのは、鎖国をしていたし、あんまり日本人はオープンじゃないし、つまり閉じられていてミステリアスだ。
ゲイ文化も、今ほどオープンになるまでは閉じられた排他的なコミュニティだっただろう(そうあらざるを得なかっただろう)。
そういう、秘められたものに宿る淫靡さみたいなものが、日本文化とゲイ文化をリンクさせたのかなあとか思った。
ぜんぶ英語やからちゃんと丸ごとは理解できてないかもやけど、サンフランシスコはLGBTのアクティビストが政治にも深く関わったことによって、レインボーフラッグができたり、同性婚を早くから合法化したりと先進的な街みたいだ、ということがわかった。
そして政治とかのマクロでもそうやし、ミクロでも、同性愛者の移民の人たちのインタビューとかも見れてよかった。
いろぉんな人がいる。移民の多い街ではそのことが受け入れられやすいんじゃないかなあ。みんなエネルギーがあるから。
そしてミュージアムを出て、また歩く。
異様に寒い。日差しも風も強くて、ほんとに体温調節が難しい。
影ばっかりやし、冷える。
住宅の多い通りを歩く。かっこいい家。
美しい門。
私と同い年のカフェ。
カフェが多い。でもそれは自然なことに思える。人々がネイバーフッドにとどまり、周りの仲間と話をするのにコーヒーやティー、ひいては場所自体が、不可欠だろうと思うからだ。
学校、スヌーピーでよく見るスクールバス。
すぐ目の前にバスケットコート。
歩いててふと、あ知ってるいい匂いする!と思ったらジャスミン!
Love it〜!
そして目的地。
フレッシュなビール!!
フォートポイントというブルワリーの直営のビールショップ。
凍えながらもフレッシュなビールはほんとに美味しい!
いろんな匂いがして、芳醇で爽やかで大好きな液体だ。
なんかテンパって、生牡蠣食べへんのに頼んじゃった。美味しかった。寒かったけど。
そして店員さんと喋って、日本から来たよ!って言ったらまた!なぜかビール一杯奢ってくれた(You know what, this is on me!!)!
これはコリアンスタイルのビール。そんなん留学時代とかにも見たことなかったし、店員さんもおすすめって言うから飲んだ。
飲み口柔らかで飲みやすい、でもどこか独特な穀物の匂いがするビールだった。食べ物に合う、主張がそこまで強くない美味しいビール。
そしてせめてもの暖、ガーリックフライ。
生のガーリックいっぱいかかっててめちゃくちゃ美味しかった。
そして凍えながらホステルに帰………る前に、アルコールで増大した食欲のおもむくまま
Pearl's Deluxe Burgersアゲイン!
ベーコン入りで注文したのに間違えられてた……Mini Deluxe with cheeseになってた……けど美味しかった😊お腹いっぱいでも美味しいんやからよっぽどやで!
最後にまた来れてよかった。明日は早朝のバスだから、もうこれがサンフランシスコでの最後のご飯なのだ。
でもぜったいまた来る!パールくん待っててください!
そしてシャワー浴びてリビングエリアでちょっとゆっくりする。
素晴らしいのが、ウォーターサーバーが点在するところ。お湯も飲める!ここで私はお白湯を飲みまくった。
フロントの脇には24時間コーヒーが置いてある。素晴らしい場所だ、HI San Francisco。
そしてこのドミトリーともお別れ。
マットレスごわごわで、シーツすぐ剥けて、愛着なんてわきようないのに寂しいな。
で、左の上階にまた新しい人が来たので、挨拶をしたらちょっと会話が始まった。
ティアさんはアフリカ系の41歳(!)で、アメリカから出たことのないサクラメント在住の旅人だ。
もう孫もいて、家にはやることがたくさんあるけど、3年前に事業に失敗したのをきっかけにしてホステルでの旅を始めたそうだ。なんてエナジェティックなんだろう!
サンフランシスコにはそうねえ5年くらいはいないとぜんぶ味わえないよ!住めばいいのよ、それか帰るならまた戻ってくればいいわ、と楽しそうに言ってくれた。ホステル泊まるときはあなたのこと探すわね、と笑いながら。
そして最後、私は朝5時起きだしティアさんは2日寝てない(サンフランシスコでは寝てる時間なんてないのよ!)ので、22時前には眠った。
パワフルだなあ。ほんとにみんなパワフルだ。
逆に言うと、パワフルでないと生きていけないのかもしれない。
みんながオリジナリーには移民の国で、適応するために、生きるため楽しむためにはエネルギーがないと。
数日前サクラメントで出会った韓国のおっちゃんキムさんが、祖国に帰りたいと言った、その気持ちもわかる。老いてパワーがなくなったとき、生きるエネルギーが最低限で済むのは祖国だ。生まれ育った言語で、見慣れた景色だ。自分の肌に身体にはじめから馴染むもの。日々、パワーを使わなくても流れていく生活のある場所。
25,000歩歩いた私は、泥のように眠った。
サンフランシスコ最後の夜。
私はカオスを愛しているので、今日の観光はとても楽しかった。
街の形と人の生活の形。ちぐはぐをむりくり合わせてできる流れ。
旅は楽しいな。人は優しいし。
どうしたって他人を求めずにはいられない私にとって、日本はちょっと寂しいときがある。無視されるからだ。無視することが礼儀でさえあるから。
でもみんな他人を求めずにいられないのは同じだと思う。誰もひとりで生きられない。他人を求める気持ちと拒絶する気持ち、それが今の日本の人々のなかでうまく噛み合ってないのかもしれない。
こんなに楽しい旅ももう終盤だ。
明日は朝いち、6:35のバスでロサンゼルスに向かう。
See you later💫