エクストラ!
Day15
家に着くまでが旅なら、まだそれは終わっていないことになる。
5時に羽田に着いて、荷物の手続きをしてからシャワーを浴びる。
空港にあるシャワールームというのは非常に便利だなあ〜!
そして今回の旅で思い知った。清潔でいるということは、睡眠と同じくらい大事だ。たぶん、尊厳とか人間らしさとかいう社会的な部分での問題なのだろう。
自分が汚いとき、堂々とできなくなる。縮こまって端っこにいときたくなる。だからシャワーは大事。浴びられるだけ浴びないと。
シャワールームを出てから、荷物を整理してぜんぶバックパックに入れて、なんとなく写真を撮る。
ヘルモサビーチで会ったおじさんに、「荷物はそれだけ?バックパック1個?」っておもしろそうに訊かれた。そう、バックパック1個!これさえあればどこにでも行ける!
たぶん、これを持って日本じゃない他の場所に行って、生活を始めることもできる。
頼もしい、最高の誕生日プレゼントだ。すべてが正しかった、タイミングもチョイスも。ママありがとう🫶
羽田空港はめちゃくちゃ便利で、なんと京急線がアライバルターミナルからそのまま出ている!すごいね!成田よりぜんぜんこっちがいいやん!
早朝6時、電車に乗る。人はまばらにいるのに、めちゃくちゃ静か。
アメリカから戻ったばかりだからこその、たぶんすぐ消える「日本だー!😳」の感覚を利用して、日本人じゃないつもりになってみた。
誰も大音量で音楽流してない。静か。みんなあんまり動かへん。めちゃくちゃお行儀いい。電車狭い、ぜんぶ小さい、窓の外、何もかもが ぎうぎうに建っている!
広告の色彩がかわいい!
列車の通過を待つとき、停まった駅。
静かで、ホーホケキョが鳴いている。平和だ!きっとここでする生活はとても折目正しくて、狂乱とかカオスとかとは程遠いんだろうな。朝の新鮮な空気に空の色が淡い。綺麗な色彩がありそうな街だな。
ていうか電車の床😂😂😂😂😂
光ってる😂😂😂綺麗すぎる😂埃ひとつ落ちてない😂😂😂😂もの余裕で置ける😂😂😂😂😂😂なにも液体が溢れてないしその痕跡もない😂😂😂😂😂
きれすぎて笑けてしまった。
ホステルで、アメリカ人が言っていた。「アメリカの電車を見てみなよ、あれがアメリカ人だよ。日本人のほうがよっぽど賢いよ。」
私は、「みんなそういうふうにトレーニングしてるだけだよ、賢いわけじゃない。」と答えたけど、それにしても美しい床だ。
バスタ新宿から10:30のバスにのり、大阪に戻る予定。まだ3時間ほど時間があるので、朝ごはんを食べた。猛烈になぜか食べたくなったお蕎麦。
ふだんお蕎麦の お の字も そ の字も頭に出てこないのに。不思議。
いっしゅんで平らげ、なんか少ないなあ……と思ったのは胃がアメリカサイズになっているからだ。完全に、太った。野菜もお肉も果物も摂るようにしてたけど、バランスは整ってたかもしれへんけど、そんなん関係なくなにもかも量が多い。
反省はしてるんやけど、喫茶店でモーニングも食べちゃった。
まあ旅行やしまだ、終わってないし、しゃーないしゃーない!✌︎✌︎
食べ終わってさすがに動こうと思い、新宿の街を8キロの荷物を背負ってのろのろ歩く。
周りには、外国人観光客もたくさんいる。聞こえてくる中国語や英語、スペイン語。
彼らにとって、日本というのは「あんまりにも違う」だろうなあと考えた。
違うというのは、言葉や表情など人間そのものだけじゃなく、土地や匂いや感覚もだ。
たとえば、アメリカでは、地図で見た1ブロックを歩くとなんかすごく遠かったりする。目に見えていてすぐそこに思える建物も、歩いて向かうとなかなか着かない。たんじゅんに道路が広くて建物が大きく、日本人の私には、普通と設定している感覚のそれよりなにもかもスケールが大きいから、どこに行くにも思ったより体力を消耗する。
逆にアメリカ人が日本に来たら、なにもかもがこまごまとしていて、身体を動かすとなにかにぶちあたるのでリラックスするのも難しかったりするだろう。見えている建物に向かう道が細く複雑で、思うように辿り着かないフラストレーションに疲弊するかもしれない。シャワーを浴びてドライヤーをしてもなかなか髪が乾かないし、自販機ではカードを使えないし、人々は自分と極力目を合わさないように無視をしてくる。
ホステルで会ったアフリカ系アメリカンのダレルが言っていた。「中国にいたときは、カルチャーショックだった、何に対しても。何もかもがあんまりにも違う。何をするにも違いにショックを受ける」。そうだ、アジアの、日本の、私たちの文化は私たちには当たり前で、私たちには"普通"のスケールがあるけど、それは小さな島国の基準というだけなのだ。
1億円のマンションが高価なのは、日本でだけかもしれない。接客業が"誰でもできる"作業のような職業になってるのは日本だけかもしれない。同性愛者がそのことを隠すのは日本だけかも。年上が偉いのは日本だけかも。おじさんが社会の主導権を握るのは日本だけかも。日本だけじゃなくても、日本と共通点のある国があっても、まったく同じ国はない。それぞれぜんぶぜんぶ、あんまりにも、ほんとうには違うのに、日本語だけを話す私たちは共通の非言語的なルールによって語らなくてもすべてを共有した気持ちになっている。
それは温かくて素敵なことだ。守られていて、安心なことだ。日本から一生出なくて、日本人としか接さないなら、それが決まっているならその価値観のなかで過ごすのが幸せになるための道だと思う。
でも、もしこれから先もっと移民を受け入れたら(というか少子高齢化の社会でそうなるだろう)?
周りに、自分とは違う文化を持った人がたくさん増えて、接触を拒否できないほどの環境になったら?
非言語の共通理解を持たない人が社会の一定量を占めたら、その温かな幸せにはヒビが入り、いつの日か決壊するだろう。たぶん人々の接触は不幸を生んで、みんながフラストレーションに悶える。
面白かったのが、アメリカ人は、突然人に話しかけられても驚かない。急に会話が始まっても、それを知っていたかのようにスムーズに返事ができる。
コミュ力高いなあ、ヨウキャやなあ、と話しかけられてもないこっちが驚いてしまう。
たぶん公共の場で決して閉じない、スイッチをオフにしないのだろう。常にコミュニケーションへの準備ができている。
そう、準備ができているのだ。常にレディーセットまで済んでいて、ゴー!で動き出せる。拒否という一段階を踏まない、受け入れられるのだ。全員が「違う」ことを知っているから。
べつにそのコミュニケーション能力が素晴らしいこと!だとか、日本人もみんなそれくらいコミュ力高くあるべき!だとか思わない。たんに、アメリカ人はそういう環境で育ち、アメリカにはそういう文化があるというだけのことで、日本はそうではないというだけだからだ。これも「違い」だ。
でも、拒否をしない姿勢、「違う」ことを知っているということは大事なんじゃないかと思う。もし、日本が"グローバル化"するなら。グローバル化?西洋文化化??するなら。
みんな他人がいないと生きられない、どんな形でも他人を求めるのに、他人との接触がフラストレーションを生むなんて悲しい。
私はやっぱりすっと入った薬局で、商品について質問をしたとき、店員さんが目も合わしてくれないのが悲しかったし、寂しかった。
べつに親切にしてくれなくてもいいけど、忙しいんやろうけど、時間がないんやろうけど、やることがあるんやろうけど、でも、なんか、無視はしないでほしいな、私が存在してることを拒否しないでほしいな、と思っちゃった。
でもそれがアジアの、日本の文化なのだと言われればそうなのかもしれない。「じろじろ見ない=存在を無視すること」が相手への礼儀となる、という考え方だって確かにあるだろう。それを否定することはできない。
ところで薬局に入ったのは、口唇ヘルペスができたから。昨日の朝、ホステルで目を覚ますと唇の上が痒くて熱を持っていて、ああさいあく、と思った。私ってどんだけ身体弱いんやろう。身体にかかるストレスに弱い!
のろのろお散歩したり、うろうろしてたらバスの集合時間になって、バスタ新宿から出発した。
窓辺に富士山!!
サービスエリアのトイレは、恐ろしくたくさんあって、こわごわと扉を開けても期待をある意味裏切って完璧に綺麗。トイレだけじゃなく、サービスエリアの維持って、どれだけのお金がかかってるんやろう? みんなサービスエリアって大好きやもんなあ。
うろうろして、ジャスミンティーを買って、アメリカから持って帰ってきたハリボーと食べた。合うなあ。ふしぎ。
そして大阪に帰ると、バスターミナルでママが待ってくれていた。
ハグして再会!帰ってこられてよかった。アメリカは好きだし、日本文化とは合わないところがある、けど、ママがいるここが私のホームだ。
大好きな生姜焼きを作ってくれていた。
めちゃくちゃ美味しかった!日本食さいこう、というよりは、ママのお料理がさいこう!!
お腹ぱんぱんまで食べさせてもらった。
そしてちょっと家族での出来事があり、ばたばたしたのと、まだいろいろと頭の整理ができていないので、改めて旅の総括を数日中にしようかな。
簡単にとりあえずではあるけど、ここまでお付き合いいただいた皆様ありがとう。嬉しかった。稚拙な文章やけど、見てくれてることが旅の励みになった。ほんとにありがとう。
では、また数日中に!
See you soon👋